たまに顔出す卒業生のMくん
先日、教育熱心な若手の先生と教育論というのもちょっと恥ずかしいけども学生の指導について議論した。
その先生から見れば私のやり方は「僕はやりたくないというか興味ない」というものであった。
要するに特定の学生を指導して「あいつは俺が育てた」みたいなものには興味がないという。
「誰が育てたとかではなく、みんなで育てたでいいじゃないですか」と・・・
なんというか、何か私のやり方に誤解があるような気もしないでもないけど、確かに私は「アイツは俺が育てた!」という師弟関係が好きだ(汗)
私自身の感覚としては特定の学生を指導しているモードは部活の感覚に近い。
授業などで誰かを選別するような意識はないのだけども・・・
むしろ一般の学生に対しては間口が広いほうだと思うのだけども・・・
その場の議論は白熱したというより、私がなんとなく反省する感じになってしまった。
う~ん、なんといえばよかったのか・・・
色々と言いたいことがあるにはある。
俺が育てた!という関係は、反対にやらかした時も「アイツはなんて指導してんだ」と非難されることも意味する。
なんならかつての組員と称して指導した学生の時など、別の授業などでやらかした時には私に報告が来たりする。内心は「そんなのそっちでやってよ~」ってなもんだけど、私が謝罪し、指導する。
そう、部員の感覚なんです。野球部員がやらかせば、野球部の監督が謝りにいく。
この感覚ってなんですかね。
家族というのとも似て非なるものだけど、共同体意識とでもいうのでしょうか。
しかし、この先生との議論の回答を考えるほどに、
「まぁ、やるべきだからやる」
というような義務でやっているようなものでもないのですよね。
なぜ部員に特別な感情が湧くのだろうかと思うと、やはり「私(のやっていること)を選んでくれた」ということに根本的な喜びがあるのだろうな。
あとは「私もやってもらったから、この効果を知っている」というのも大きいか。
ただ、この若手先生との議論で、
なぜ私が強気に反論することができないかというと、人生という意味においてはこの若手先生の方がよっぽどマトモだからである。
私の場合は悲観人生からくるヤケクソ捨身指導だったりするので、そんなもんダメに決まっている。
ただ最近、教員としてできるようになったことがある。
「冷たい視線の中でも青臭いことも一生懸命に語る」ということである。
いや、これ若い時の方が青臭いだろうと思われるでしょうが、若いとき(といいつつ、つい最近まで)は相手の聞く態度が悪かったりすると、それにつられてテンションが下がったり、イラついたりしていた。「嫌ならいやらなくていい」などと、いらぬイヤミを言ったりしてしまっていた。そんな相手に「自分を出して熱心に語るのは恥ずかしい」と思っていた。
しかし、「そんなだったら適当にやったれ」とやっている方がストレスになっていることに気が付いた。
そして、
「こんなにバカにされているにもかかわらず熱心に語っている私」
というものがなんとなく好ましく思えるようになった
(俺もなかなかカワイイなと 笑)
ちなみに『~にもかかわらず』は重要なワードである。
「~にもかかわらず笑う」「~にもかかわらずがんばる」
このワードは鎌田實さんという医師の方がよく使われるワードである。
私も好きだ。
肯定されている中で語るのは確かに気持ちよい、でもわかってもらえない中でも語り続ける姿もまたいいんじゃないのと。「よく頑張ってるじゃないか私」
というワケのわからん境地を発見した(笑)
・・・・で、こういうのを、私が勝手に発見したかのように書いているけど、実はそうではない。
こちらは熱心に語っているのに、スマホをいじるわ、内職するわ、態度悪いわと散々な目に遭って、「もうやってられるか!」と絶望して授業の片づけをしていると、そ~っとよってきて「先生の話がためになりました、この雰囲気の中で熱心に語ってくれてありがとうございます」などと言ってくれる天使のような学生がいたりする。
「嬉しいけど、そんなら授業中にそういってくれよ~」と思うのだけど、そういう学生は大抵物静かだったり目立つことはできない性格だったりする。
そう、そういう学生にしてみれば、話の中身もあるかもしれないけど、
「この冷え切った空気感の中で熱心に語る姿」に元気をもらえるということだったりする。
これは果たしていい話なのか?それとも・・・中身がないってことか・・・
ええい仕方ない!
こうなったら誰かは聞いているかもしれない(いないかもしれないけど)そこに向かって熱心に語ろう!聞かない人もできれば聞いてほしい。少なくとも聞いてくれる人ががっかりしないように頑張ろう!
修行期間20年、やっていることは変わっていないようでメンタル的には随分と変わっております。
上の写真のMくんも、そういう学生の一人でありまして、卒業してから学びたいと、仕事の合間を縫って顔を出してくる。
というわけで細々と、プロ仕様の特別ビジネス講義を行っている。
学生にはできない話ができる。
・・・なんて書くと悪い話をしているかのように思われるが、そうではない。
学生は熱しやすく冷めやすい。そして選択期間である。(それも権利?)
ただ社会人は目的意識がはっきりしている。(じゃなきゃ来ない)
だから、話す内容を濃くできる。
この日の教材 「プロレス道場の世界」
プロになりたかったらプロレスを理解せよ。
注)ちゃんとしたトレーナーを目指している人はマネしないように。
きっちり上下関係を仕込むとする。
まずは先輩のマッサージだ(笑)
お~い、ニイさん肩凝ってね~か~?