飼育している東錦
おかげさまで、今年も無事に誕生日なるものを迎えまして、
また一つ歳を重ねることができました。
変わらずに連絡をいただいた皆様、覚えていていただきありがとうございます。
とにかく目の前の人の感情に配慮して、
トラブルを避けることを優先し、無難な道を選び続けてきた人生であります。
おかげで大けがせずにやっているともいえるけど、結局、自分のことはなんもしてね~な~ともいえるしと・・・
う~ん、どうなんだかと。
大学院時代の恩師に「私の欠点」について尋ねたところ
「う~ん、欲がないところだな」と言われたのが20年前。
見事に見抜かれていた。
というより「それがカッコいい」くらいに思っていたが・・・
たしかに自分の生活への執着というか、向上させようという向上心がまるでない。
これを強引に肯定的にとらえると、
だから「トラブルなく職場で人間関係はうまくやっている」ともいえるけど・・・
いわゆる「大学教員」としては失格で。
よくこんなんで生活してるなと自分でも感心する。
生命力が「ある」のか「ない」のか・・・生きているんだからあるのかな
よくトップアスリートや起業家なんかが、
「満足したら終わり」という。
いっぽうで、過去の偉人が
「足るを知る」なんてなことをいう。
現状に満足して生きてちゃダメなのかな~
「お前は今は仕事があるからそんな呑気なこと言ってんだ」
と言われそうだけど、すぐに就職できて立派にやっていたのならいざ知らず、8年もフリーターをやってからの就職だったら、そりゃ満足度のラインは下がります(笑)
そういうことを考えたときに思うのは、「向上心を持っているから」と称して、現状に不満を抱きながら生活してたらそれはそれで周囲に迷惑をかけるような気もするのだけどもどうなのだろうか。
私のここまでの経歴なんて、全てが「お前はいいヤツだから」という、人からの推薦進路ばっかりなもので、それこそ「向上心でギラギラ」してたら、こうなったかどうか相当に怪しい。(もっといいかもしれないけど)
もちろん常に不満を持ち、感謝の言葉より文句をいいながらもガンガン突進して向上していった人も知っている。そういう人をむしろ尊敬する。
どっちがいいんだか・・・といって、そっち(向上心不満兼備型)がいいとなったところで、出来るわけではないのだけども。
ここのところ、ネットニュースなどを眺めているとすっかり「自分と関係ない」話題だらけになっていることに驚く。
というか、自分が社会のレールから離れていることを感じる。
社会で起きている重要な問題も「う~ん、思うところはあるけども、とくに頑張っているわけではない俺が意見できる立場ではないな」と思ってしまうことが多い。
そういう思考になると、ブログを書くガッツが全然わかない。
でもせっかく有料(私が払う)でやっていることだし。
せっかく、ここまで続けたし。なんなら唯一続いていることだし(汗)
また読んでいただけるように頑張ります。
卒業生(元組員)のK崎さんによる釣果。
こんな立派なシーバス(スズキ)を私は釣ったことがありません。
K崎さんの釣りに対する向上心を見習わねば・・・