kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

あれ?終わっちゃうの?

1994年の雑誌近代柔道ベースボールマガジン社

私の同級生たちが表紙になっていたので、買いました。

 

柔道部には友人が多かったので、クラスメイトが表紙になっているのが面白かった思い出があります。

 

左手前にいる大沼史郎選手は2年連続で同じクラスになった腐れ縁でありまして面白いヤツでした。

奥にいるのは当時1年生の井上康生選手。

そらもう相当に強かったのでありますが、学校生活では超好青年でありました。

 

約20年前の雑誌でありますが、すぐに思い出すものですね。

これはもう一年前の雑誌、1993年

つまり私の1学年先輩の学年であります。

 

左上で優勝旗を持っている藤田先輩は確か青森出身で、重量級ぞろいの柔道部の中でスラリとしたアスリート体形のカッコいい先輩でありました。よくおしゃべりもさせてもらいました。

その右隣の宮内先輩は、その反対で確か170㎏とか言っていたような。

この先輩もまた優しい人で私もよく話しかけてもらいました。

 

野球部だった私がなぜ柔道部の先輩に可愛がられていたかというと、野球部内で「芸人」と化した私は、野球部先輩から、これらの怪物級の柔道部先輩たちに「芸を披露したり、ちょっかいを出してこい」という指令を受けて、絡みに行かされたわけであります。

左下で賞状を持っている福山先輩が体育館で寝転んでいるところの頭をひっぱたいて「寝てんじゃね~ぞコラ!」とやった時の映像はいまだに脳裏にこびりついております。(死ぬかと思いました)

 

結果的に、野球界とはまた違う世界観を持っている柔道部の皆さんと絡んだことは、私の人生に大きな影響がありました。

特に、そのもう一つ上の上水先輩(現在、東海大学柔道部監督)のアドバイスに従って私は進路を決めました。

 

なんでいきなりこんな話題になったかというと、

先日、たまりにたまった新聞のイッキ読みをしていたら、5月の記事で

「近代柔道休刊」の記事を発見!

 

え~!そうだったのか!と悲しくなったのでありました。

 


しかも、

 

あれ、この新聞記事をよく読んでいくと「コーチングクリニック」まで・・・

 

アイヤ~、私のことを載せてくれた雑誌だったのに~

 

出版不況と言われて久しいですが、そうか雑誌はそんなに厳しいのか・・・

 

まぁ、野球だってどうあるのが正解なのか?

いよいよ考えなければならない時なのですけども。

 

う~ん、さみしい。