前作で紹介したI野さんが学食でカレーをごちそうした時にこんなことを言っていた。
「ここのカレー ウマいっすね~!うちの学校のと全然ちがいますよ!」
次の日に、食堂の兄さんに
「H高校のコーチがここのカレーがウマい!って感激してましたよ~!」
と報告したらその兄さんが
「ホントですか!ありがとうございます!励みになります!」
と大変に喜んでいた。
私はこういうやりとりは結構好きなほうである。
こういう報告は絶対に喜ぶことを知っているからだ・・・というより私ならうれしい。
学食の兄さんは限られた予算の中で頑張ってくれている。
それなのに「学食がマズイ」としょっちゅう言っている人がいる。
とりあえずそう言っておこうみたいなノリにすら感じる。
そういう人は、逆に美味しかったときには「今日はウマい!」と言っているならともかく、
「金払っているんだから当たり前」みたいな顔に見える。
私は
「嬉しい報告」って積極的にどんどんすべきだと思う。
大体の人はそんなに自信はないものではないだろうか。
今にも切れそうな状態でかろうじて繋いでいる状態の人って結構多いんじゃなかろうか。
そんなときに、「嬉しい報告」があったらどんだけエネルギーになるか・・
だったらお互いに嬉しい報告しあったらいいじゃないか?なんて思う。
褒められたら褒め返す!
そういうのが、「人情の機微を知っている」ってもんじゃないかと思う。
「褒めたら負け」みたいに思ってんのかな?と思えるような人までいるが逆じゃないの?といつも思う。
せっかくいいことやってんのに、それができないばかりにワザワザ恨まれている人までいる。
褒めるというのは人を動かす!雰囲気も良くなる!
私は「褒めの先払い」も有効だと思っている。
本学のカレーをベタ褒めしたI野コーチは将来大物監督になると見た!(笑)
以下はとある文豪の作品より
「私の知っている人物に有名な編集者が一人いた。これは古今未曾有の天才だった。
この人は俗に‘傑作のマルちゃん”もしくは‘イダテンのマルちゃん”と呼ばれてて、
どんなに渋ってる先生からでも、原稿を書かせる、ひったくってくるというので業界に名を馳せていた。
手は一つ。 書斎に坐りこんで、先生の目をまじまじと見て、
『すごい、傑作だ、さすが先生よく書けましたねぇ、あれは傑作でした、先月はすごい予感がありましたけどやっぱり傑作でした』
とにかくこの調子で、「ああ傑作だ、傑作だ」と繰り返すことで飯を食ってたんだ。
だいたい書斎にいる物書き先生というのは、文豪であろうが、駆け出しであろうが、批評家であろうが、世間からバカにされ、女房にはなめられ、息子には突き上げられて、ねじくれ曲がっている寂しい存在なんだな。愛情に飢えているんだ。これを愛情乞食という。すべて物書きは愛情乞食だと思いたまえ。
したがってや、まったくお世辞だとわかっているのに、やっぱり目の前に坐り込んで、まじまじと見られて「ああ傑作だ、傑作だ」と言われたら、どうしても心が動いてくる。こんなことを言っている私だって目の前に誰かがやってきて「この間のは傑作だった、ああ傑作や、傑作や」とこういわれたらやっぱり次を書いてしまうかもしれんな。」
ちなみに、これを体得しているK崎さんにF尾さんは元気に社会の荒波をサーフィンしている。
ミートにいたってはもはやコメントすら入れられないくらい楽しんでいやがる。
現役ではミゾバタ研究員が体得し、泣く子も黙るPTの大教授と友達みたいになってやがる(汗)
軟弱な本学の学生よ、
「先生が褒めてくれない」
などといじけてないで、先手必勝、
こっちから褒めてやれ!
「ああ先生の教え方はなんて分かりやすいんでしょうか!僕は先生に教えてもらえて幸せだ~」
くらいに言ってみろ!
どんどん分かりやすくなるわい!