11月3日東海大学柔道部が全日本大学学生体重別団体で筑波大学を破って優勝した。http://sports.yahoo.co.jp/news/20091103-00000028-maip-spo.html
写真は監督を務めている上水研一朗さんだ。失礼は承知ながらあえて「先輩」と呼ばせてもらう。私の高校時代からの先輩だ。学年は2つ私が後輩にあたる。野球と柔道ではあるが、私だけは当時から接点があった。東海大相模高校は柔道部と野球部は寮生活をしている。柔道部は山下泰裕選手や井上康生選手を輩出している超名門である。部員は全国から選りすぐられたトップ選手の集団で、入学式からもう「〇〇国際ジュニア選手権優勝」とかいって表彰されているという調子だ。
柔道部と野球部は同じ食堂で食事をとるため、顔を合わせることになる。私は下級生の時にいわゆる「芸人」として上級生に切り札にされていた。こっち(野球部)の先輩とあっち(柔道部)の先輩との、「うちの方が面白い奴いるぞ~」という下級生からしたら迷惑極まりない意地の張り合いによく駆り出された!おかげで、「野球部のメンツがかかってんだから負けたらシラネ~ヨ」とか無茶な注文つけられて、バック踏めない状態に追い込まれた私は柔道部が飯食ってるところに突入して「芸」を披露していた。
野球部のメンバーからは「悲惨だな」と同情されていたが、次第に柔道部の皆さんから「お前オモシれ~な」ってなことになり随分仲良くさせてもらった。おかげで、2つ下の井上康生くんまで「先輩~コンチハ~」と言ってくれるようになった。芸人やっててヨカッタ~ってなもんです。
野球部先輩からの命令で笑い者になっていた私であったが、当時、柔道部主将を務めていた上水先輩は個人的に非常に親切にしてくれた。「お前は大したもんだな~他の野球部の奴と違うな~」なんて誉めてくれたりした。
1年生で芸人やらされて毎日笑いモノになって心細くなっている時のこと「わかってくれる人がいる」ってのが心底嬉しかったのをよく覚えている。先輩は野球が好きで、私の話を熱心に聞いて質問してくれたり、逆に「プレッシャーに勝つためには!」というような話を熱く語ってくれたりした。私はこの先輩が大好きだった。
先輩は大学でも主将を務めた。東海大相模や東海大学の柔道部で主将をやるということは、いざとなれば部員を制圧できるだけの「力」を持っていなければならない。その上で人格者であることが求められる。上水先輩は無用な威圧感はまったく無い!私のような素人でも近づきやすい雰囲気で接してくれる。
私が大学院の進学を決めたのは当時、大学院2年生の上水先輩に「大学院は大人になれるぞ」と言われ、上水先輩にあこがれていた私は「じゃあ行く」と今思えばあまりにも単純に決めた。直感でした。(私はいつもこんなです)
その後、先輩は実業団を経て海外留学(東海柔道指導者のノルマ)の後、大学に指導者として戻ってきた。態度の悪い屈強なアメリカの学生をブン投げて最後は尊敬されて帰ってきたという武勇伝に私は興奮した。
東海大の柔道部は優勝が至上命令である。昨年から監督になった上水監督はいきなり結果を出した。そして今回は団体の2冠(無差別・体重別)を達成!これは100人を超える部員の気持ちを見事にまとめたということだ!先輩は「俺は選手がやる気がでるようにするだけだよ」と言っていた。これは多くのコーチが言う事だが、先輩と接していて気付いたことが一つある。
それは「ツラくても顔に出さない人の気持ちがわかる」ってことじゃないかと思った。
それは3年前に私が東海大のリストラ食らった冬、誰もが私にヨソヨソしくなった中で、「メシでも食おう」と唯一誘ってくれたのが当時、コーチの上水先輩だった。噂を聞いて声をかけてくれた。当時、私は意地でも愚痴を言わんぞ!とポーカーフェイスを決め込んでいた。
「アイザワ!俺は、お前がいい奴なのは分かってるからな!腐っちゃいかんぞ、絶対にいい経験だからな。ここから頑張れよ!俺も頑張るからな!」
お見通しでしたか・・・そういや高校の時も助けてもらいましたね 「ありがとうございます」
こんな監督なら選手は動きます。そして結果は出ました。私も勇気が出ました。
「顔に出してない相手の痛みがわかる」 これ、大事にしようと思います。