先日、組員の1年生が「もっと上を目指す人が集まり、テクニックを高めるような勉強会をしたい!」と鼻息を荒くして要望を出してきた。彼は、バリバリに活躍しているように見える4年生を見て「俺はこんな調子で大丈夫なんだろうか?何かオリジナルの技術をつけなきゃ見捨てられるのではないだろうか?」と焦っていた。こんな姿は私の大学時代とそっくりでなんだか嬉しい。私もあっちのセミナーこっちのセミナー、この本、あの雑誌と手当たり次第に首を突っ込んでみたものだ(その時の資料は今では宝ですが)
そして、有名なトレーナーさんの話に胸を躍らせるも・・・・「他人と違うトレーナーになりたいと言いながらも、これを聞いてそのままやったらそれはただのコピーなのか・・・・?オリジナル(個性)ってなんだ?」なんてことを考えていたものだ。
私の30過ぎてから気づいた自論
全員が白いユニフォームを着ている東海大の野球部の練習を観戦していてふと感じたことである。「野球選手は同じチームで同じユニフォーム着て同じ理論をやっていても、出てくるパフォーマンスは全然違う。つまりオリジナル(個性)が出てるではないか。」てことは、何も焦ってトリッキーなことをやらなくても、自分という人間が基本通りのことをやれば逆に後は、自分自身でしか出せない「味」みたいなものが出るんじゃないの?
本学には野球を経験していて、「野球に関わる仕事がしたい!」と決意して来ている学生が多い!しかも、経験年数は18歳にして10年以上というのはザラである。
私は本学の野球人学生に対して、少々物足りなく歯がゆい思いが強い。 なぜなら・・・・
野球をやっていた自分の生々(なまなま)しさを隠すからだ!
だから誰から聞いても同じような話しか出ないのだ。そこには「私は甲子園には行ってないから・・・」という謙虚さだったり、「医療人が野球を前面に出してはいけないのでは・・・?」と、ある意味で「イイ子だな~」という解釈もできる。がしかし!
こんな調子じゃいつまでやったって個性(オリジナル)なんて出やしない!そんな調子で色々なテクニックを学んだって、やればやるほど「俺ってコピーだな~」と自己嫌悪に陥るか、「組長は特別なんですよ」という姿勢でいじけるか、「ええい!ヤケクソだ!」と無茶なことしてトラブルを起こすのが関の山だ!
本学の野球人は皆、自信無さげだ・・・
そりゃそうだ、これまで一番時間と情熱を捧げたものを勝手に結論出して自分で否定しちゃってんだから。でもね、大体、野球を10年以上もやってた人間がそう簡単に捨てられるわけはない!その証拠にコソコソとキャッチボールしてる学生のなんて多いことか!
野球をやってた学生に私は言いたい!その思いをもっと生々しく持って、普段の勉強をやったっていいじゃない!ひとつの事を10年ってなかなかやれるものでは無いんだぞ!
10年以上のキャリアから生まれる情念を持って、大学で教わる内容に取り組んだら、他の学生では気づかないポイントに気付き、そして発想できるでしょうが!
それがあなたのオリジナルでしょうが!
私の話をプロが聞きに来るのは、私の生々しさを聞きにきてると思ってます。「どこに書いてあったから」なんて話を聞きにくるわけが無い!自分の生々しさを封印して、新たなテクニックに走るなんてのは、中学生が個性を出そうと金髪にしようか?少数だからと紫にしようか?って言ってるレベルと変わらない!
君を待っている選手は皆、生々しい! 若いんだから泥臭くナマナマしく行きましょう!
そんな話ならマチガイなく弾むはずだ!
こんな事を書いてたら、組員Tが米10キロ持って現れた!
「学園祭のビンゴで当たりました!先生どうぞ!」
「オオ~!助かるぜ!」
なんてナマナマしい!