2月19日 昨日和歌山競輪3日目で久しぶりの勝利をあげた吉木雄貴選手を「ちょっとやらせたいトレーニングがあるから疲れてるだろうけど来ない?」と呼び出してバランスボールに立つというトレーニングを行った。最初は転んでばかりいたが挑戦すること約1時間で見事に立つことに成功した。これはやっていることは単純だが、実はナカナカ奥が深い。(カナリ危険ですので絶対に真似しないでください)
トレーニング中、吉木くんが何度も「先生の応援の声が本当に嬉しくて力になりました!ありがとうございます」と言ってくれる。 私が応援に行ったのは2日目でその時は7着だったが、そのレース内容はこれまでの不振だったそれとは全く違うものであった。「こりゃ明日は1着とるな・・・」私は予感していた。「なら買えばいいじゃん」と言われるであろうが、オールオアナッシングを信条とする私にもはや打つ手は無かった・・・・まぁそれはいい
賞金を目的としているプロ選手ではあるが、だからお金しか興味ないだろうというのは間違った見方だ! 私が競輪ファンになったのは2001年のことである。
当時、年末のグランプリを優勝したのは伏見選手であった。神山選手もいた。そして2009年のグランプリ、8年経ってもまだこの両名はグランプリに出ている。ちなみに、私が競輪を見始めた時にすでにトップレーサーだったのにまだトップでいるのである。プロスポーツの中でも競輪は選手寿命が長いと言われている。が、しかし、皆がそうかと言えばそうではない。50歳過ぎても現役バリバリもいれば20歳代でクビになってしまう選手もいる。 毎年140名ほどの新人がデビューしている。ということはそれだけの選手がクビになっている。厳しい世界だ!
浮き沈みの激しい世界で生き残っている選手を見ていると感じることがある。それは、
「自分のためだけに走っている選手は長続きしていない」ということだ。「長く活躍する選手」と「ある年に爆発的に勝ったが長続きしていない選手」 大ケガやスランプから復活した選手!できなかった選手! その違いは周囲の応援を力に変えられるか!つまり自分の納得でなく応援している人の納得を優先できるか。
「応援している人に応えたい!応援している人をがっかりさせたくない!」という選手のほうが長続きしているように見える。おそらく間違ってないと思う。
よく、「自分の納得する生き方をする」「自分のやりたい事をやる」「自分のために頑張る」てな言い方が何の疑いもなく言われるが案外これは長続きしそうでしないのではないかと最近は思っている。
だって「自分の納得」を最優先したらその時の状態によって「俺はもういいや」とか「どうせ俺はダメだ」なんていう自分の納得のさせ方でまとめているような気がする。結果として長続きしない。そういう選手は環境や他人の悪口を言ってしまうことで応援している人をガッカリさせている事に気づいていない。
逆に応援している人の納得を意識できるなら、「正直、自分はキツイけどファンの前でカッコ悪いところを見せてガッカリさせることの方が自分にとってはツライことだ」という意識になり、結果的に長続きする気がする。
「周囲の応援に感謝してプレーする」なんて20代の頃は
「キレイ事でしょ~理想論なんじゃない」なんて思っていたけど
実はこっちのほうが現実論であると今なら説明できる。
今日はそんな話をしながらのトレーニングとなった。
いい時間だった。