今回はつい先日、帰省した際にとあるプロスポーツ選手とのやりとりの中で考えさせられたことについて書いてみたいと思います。
今回、話題にする選手は私が彼の中学時代から並じゃない情熱を持って接してきた選手です。(以下A選手)
いつも良くしてくれる運送屋社長さんの号令のもと、私を囲んでの焼き肉会をやってくれた席での事です。
そこには、私が指導している学生も参加していた。
私は、A選手に「学生にプロスポーツの世界の経験をもとに心構えを話してやってくれよ!」とお願いした。
するとA選手は、面倒くさそうに
「周囲の人は色々言うけど、自分のやり方を貫いた方がいいよ、俺は周囲の言う事を気にしすぎてダメだから・・・」というようなアドバイスをした・・・・
「あ~そういうセリフ吐きますか・・・」私は寂しくなった。
『周囲に流されず、自分のやり方を貫く』よく言われるセリフだが、
こんなセリフを応援しているのに聞かされた方はたまったもんじゃない!
『あ・・・そう・・・、私もそういう周囲でゴチャゴチャ言う人の一人なわけね』そんな気持ちにさせられます。
私は、指導している学生さんや選手には色々な人と出会う機会を作りたいと考えている。
それは、私の中学野球の経験からきている。中学の恩師は、実績あるOBなどが来ると私を呼んで接点を作ってくれた。
そこで受けた指導や、やり取りは私にとってかけがえのない財産になった。
だから、私はA選手にも、多くの人との出会いの場面を作ってきたつもりだった。
そもそも、私が学生や選手に『この人に会わせたい!』と思う人の共通点は、
『大変なこともあるけど、世の中は結構面白いぜ!』という事を表現してくれる人だ!
今回、私はA選手を『会わせたい人』としてムリを言って呼んでもらった。
しかし、出た話は『なんだか世の中つまらなそうだな』って話であった。
もちろん、学生にとってはこういう話を聞くのだって重要なんだろうけども・・・・
「俺は周囲の言う事を気にしすぎてダメだから・・・」とはA選手の話だ
結果が出てない時には言いたくなる気持ちもわからなくない・・・
でも、これってホントにダメなことですかね?結果が出ない理由はホントにそこか?
私に言わせれば『ここが良いところ!』なんじゃないの?だから私も含め、周囲だって何とか頑張れ~!って応援してたわけじゃない?
周囲の期待を『やり甲斐』にするのがプロじゃないんか?
それを『まわりはゴチャゴチャうるさい』と言ったら、これまで応援してくれた人は引いていく・・・
なぜ、『周囲が色々言って俺を惑わせる』と感じるかと言えば、実は自分自身がブレブレだからであると私は思う。
ここで言えば競技を理解していない。自分を理解していない。
だから周囲が良かれと思っているアドバイスがブレて聞こえてくる。
挙句に相手を恨む・・・ そして孤立する・・・
『人はブレる』だからこそ、トップアスリートは「不動心」と言ってみたり「我慢」と言ってみたりする。
もっと言えば「自分のブレ」との闘いこそ競技の醍醐味ではないかと思う。
A選手は、結果の出てない今こそ生き様が問われる。
『悪い時の姿勢を周囲は観ている』 先のW杯でPKをハズした選手の「ハズした後の態度」に皆が注目していた。
このまま周囲に気を使わせる雰囲気の選手になってしまうのか、
周囲に元気を与えるプロアスリートになるのか!
もちろん後者になるのが望みであり、これまでの彼へのメッセージであったのだが・・・
これを書いた以上、私も我慢だ!
皆さまのご意見お待ちしております。