私は、学生に「後輩を可愛がれ!」という話をよくする。
でも、そもそも『なんで私は後輩を可愛がれ』って言ったんだっけ?と考えてみた。
う~ん・・・
よく考えたらそれは、私のこれまでの野球の経験からくるものであった。
それは少年野球時代の事だ。
私の所属した「つつじ野シャークス」という軟式チームは、かつては上位の大会にもバンバン出るような名門であった。
しかし、キツイ練習や、当時、高まっていたサッカーブームに押され、私の頃には9人集めるのに苦労するような存続危機の状況であった。(私の卒後2年で消滅)
上手くなるとか試合に勝つとか以前の問題であった。
そんな状況だったので当時の私は常に「部員を入れねば」という事が頭にあった。
だから、自分でビラを作成し配って回るような事もした。 同級生でも頭を下げた!
しかし集まらない・・・
さぁ、どうすっか・・・
「もうこの際、上手い奴とか選んでる場合じゃない!試合出来なきゃ勝ち負けもありゃしない」 と、目をつけたのは、こんな事言ったら失礼だがあんまり友達が居なさそうな奴であった。
転校生なんて完全に狙い目である(笑)
というワケで、運動能力ゼロで誰にも相手にされてないO君と、転校してきたばかりのN君を「守備位置に立ってくれてりゃいいから」とチームに引きずり込んだ
後に、そちらの親からは「いじめられているウチの子をありがとうございます」と大変に感謝されたが、お礼を言うのはこっちの方である(笑)
さぁ、これで9人になった。「人数集めました~」と嬉々とする私に監督は最初は喜んだが、彼らの運動能力を見て「アイちゃん、いくらなんでもこりゃ~」などと苦笑いであった。
でも、これはこれで、「野球やれたぜ~」って充実感があった。
さて、まともに野球できるのは私含めて3人!
6年生は新入団の二人を足して5人!あとは4年生と3年生です。(皆小さい 笑)
4番の私以降の打者は小さく構えてフォアボール狙い(笑)
私は投手でしたから、下級生および、O・Nの所に打球が飛んだら「打たせた私が悪い」と思ってました。
だからフライを取ってくれたら自分の事以上に感動してました(笑)
そんなでしたから、公式戦は全て1回戦負けでした(泣)
とにかく、私は「人数がいなくなる」ということに非常に恐怖感があります。
それはこの少年野球の頃の経験が大きいんです。
だから、せっかく来てくれた時には何とかいい思いをしてもらわなければ『次に来てくれない』という恐怖が常にあります。
小学校の放課後は野球をやりたくて人数を集めるために親の財布からくすねたお金で来てくれたメンバーにアイス買ったりして釣ってました(笑)
誰かが来れなかった時のためにと保険で2人くらい余計に集めたら、普段はマトモに来ない奴が、その日だけは来ていて11人になってしまい私が補欠になった事も多々あります(笑)。
『私がやりたくて集めたんだから、まずは私が出るのが当然』という考えもあるのですが、「出れると言うから来たのに出れなかった」となったら私の言葉に対する信頼が揺らいで、「次は来てくれなくなるかも?」という先読みくらいはしてました。
だから2人が補欠なら私も外れた上で一緒に補欠をやりました。
「相手の納得」を優先する感覚はこんなところで出来たのかもしれません。
相手が楽しんでくれるの見て、喜んでました「これで次回も来てくれるな・・・また試合が出来るぜ!」なんて感情です。
もう自分がヒット打つとかど~でもいいです。
こうして見ると・・・
「なんだか恵まれない野球人生だったかな?」
などと思っていたら、皮肉なもので、最近はどこの大学も募集に苦労しているということで、この頃に培った感覚が随分と役に立っております。
募集できる、人が集まる能力って重要みたいですね・・・
私の野球をやってた意味は、むしろこれから発揮されるのかもしれません。
私はよく、「去る者追わず」だよ。
などとアドバイスを頂くのですが去られる恐怖にまだ勝てません(汗)
今日も、「もう追わずにいよう」と決めていたN井君を競輪Tシャツで釣って呼び出してしまいました。
人数が集まるのは当然じゃないって感覚は私にとっては当然です。