つづきです(前からお読みください)
K君にしろ、N君にしろ、傍から見れば、
『指導者に反抗した不届き者』ということになっているが、考えようによっては、
指導者の言う事を最も真に受けて聞いていた!とも言える。
だから、消化しきれない自分との間に葛藤を生み、指導者と衝突してしまう。
そう考えたら、私なんて傍からみれば「指導者の言う事をよく聞くいい子」ってなことになってたが、
「大して真剣に聞いてない」から平気で「納得してついて行ってます」なんて顔ができるのである。
どっちが悪いんだか・・・(私でしょ)
『才能があったのに中学、高校の野球を全うできなかった挫折』というのは、K君やN君には大きかったと思うが、『あれがあったからこそ!』にしてほしい!
だから今、逆に話ができる。というか、聞けるのだと思う。
恐ろしいほどの孤独感を味わったであろうことは容易に想像できる。
大体、お金で買えない才能がある奴が、お金で買える遊びで満足感なんてあるわけがない。仲間とつるんでも所詮孤独である。
19歳で私の『長い話』をあんなに目を輝かせて聞けるのは、その孤独があってこそだと思う。
さて、中学生にとって、部を辞めるというのは大きいことである。
しかし、同じ辞めた過去だったとしても、「辞めちゃったけど、あの時、説得してくれた人がいた」というのは本人にとっては案外大きいのではないかと思う。
「組長、去る者追わずだよ」とよく言われるが、ついほっとけないのはこの思いからである。
正解かは知らない。
願わくは、今後、K君やN君が、J社長やクロス先生や野人さんなどと世代を超えた付き合いで繋がってくれたらと思う。
そこの間がとれるのはF田くんのはずなのだが・・・
・・・とカッコいいことを言いましたが
お盆ということで実家に戻ったのに、お線香の一本もあげなかったことを大阪に戻ってから思い出して反省しながら書いてます(汗)
そして、実家にあった高校~大学時代の写真をみて、あまりの現在とのギャップに大きなショック受けてまいりました(泣)
当時の軽く脱いだ写真には見事に6つに割れた腹筋が・・・
高校時代、周囲にデカイ連中や、これホントに高校生か?と目を疑うような柔道部に囲まれていたので、自分なんて筋肉は全然ないと思っていたのですが、けっこうちゃんと締まった身体をしておりました・・・
しかも、目が輝いている・・・
あれからの10数年・・・
現在の濁った自分の眼と締まりの無い緩んだ身体と顔はいったい・・・
「男の顔は履歴書で女の顔は領収書・・・」とはある作家の言葉です。
領収書のほうはさておき・・・
やはりここ10数年の投げやりな生きざまが、顔のゆるみとからだのゆるみに出ております・・・
他人の世話をすることで、大好きな歌のフレーズ
「自分のこ~とは後にする~♪」(河島英吾 「時代おくれ」)
を実行しているのだと誤魔化しておりましたが、逃げられない思いになりました。
かつて、私の後輩のテッチャンが携帯の待ち受けに『自己の客観視』と掲げていて、「ホ~すごいな~」などと感心しておりましたが、てっちゃんは現在、研究も仕事もバリバリの大学人として活躍しております。
やはりそこが重要なんだなと・・・
ということで、今さらながら自己の客観視に挑戦ということで、自分のパンツ一丁の写真を撮影してみたところです。(さすがに非公開 笑)
この醜いからだもほっとけないです。
この数日は、コメントすら入らない「ほっとかれている」状態ですが、腐らずに頑張ります。(笑)
ミートめ・・・
完全に油断しとるな・・・
(写真は一人でたそがれていた相模川・・・・子鮎に癒されておりました 笑)