kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

ほっとけない①

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ちょいと実家に帰りました。


運送屋のJ社長と焼き肉屋でジックリ話をした。


・・とそこに、J社長がいつもいくマッサージ店の店員さんがたまたま現れた。


「あら、Jさん、お久しぶりです!の事知ってます?今からKも来ますよ」という。


「えっ!あいつそこで働いてんの?」J社長が驚いた!


「知ってるも何も、俺が当時、辞めるな!と説得しに自宅まで行ったんだから~」とはJ社長。この人はホントに情が深いんです。


その後K君は現れた!


K君は私だってよく知ってる。才能に溢れた投手である。


当時のピッチングフォームのビデオだって私は持っている。


 実は、彼は約10年前に中学チームの監督との関係がこじれてしまい志半ばで辞めてしまっていた。


 才能ある選手の挫折は大きい。


 その後、彼についての噂はロクなものでは無かった・・・


もうちょい私にやれる事があったんではないだろうか・・・


そんな悔み方をした選手の一人である。


しっかりとした24歳の青年になっていた彼を見て私は感動した。


 しかもトレーナーを目指して頑張ってるなんて話も聞けて嬉しくなった。


その為のマッサージ店での修行だそうだ・・・


 J社長が、「あの金髪どうしたのよ~」とか「バイク乗りまわして大変でな~」などと言うたびに


K君は「いや、ちょっとその話はここで言わないでください 汗」と照れ、


先輩の店員さんに「なんだよお前、そんなだったのかよ~」などと冷やかされる光景は見ていて微笑ましかった。(写真撮るの忘れたことを後悔している 汗)


 


 さて、K君との出会いにより、私は一人の教え子の顔が浮かんだ。


中学野球のほうで指導していたN君(右端)のことである。


このN君は、その溢れる才能に私が勝手に惚れ込み


「こいつを俺がプロにしたる!」と力んだものの、本人の意識との差が当時コーチであった私や監督との間に軋轢を生んだ。


その結果、中学3年の夏の大会前に本人の喫煙により退部という最低最悪の結末になった。


そのN君の学年を最後に私は大阪に来た・・・


あれから4年目・・・


 実はそのN君から、今年4月にメールが来ていた


「トレーナーを目指す専門学校に通います。きっかけは相澤さんだと思います。いつか認めてもらえるように頑張ります」・・・と


 あいつはどうなってんだ?


私は気になった。「ええい、試しに呼んでみっか!」と以前から約束していた野人さん(左奥)との席に呼びだした。


「人は出会いで変わる(こともある)」と考えた。


あと、野人さんと繋げてみようと思っていたクロス先生(左端)も呼びだしてみた。


 待ち合わせに現れたN君(右端)は一瞬、カツアゲしてきそうな兄ちゃんの風貌であったが、私を見る目は中学の時のままであった。


 さて、N君を会に参加させることで野人さんやクロス先生に失礼になりはしないかという心配も若干あったが、お二人とも意図を汲んでくれて、この食事会は時間の経過を忘れさせるような楽しい会であった。


 当時の私のN君への思いを言うと、


N君は「全然そんなこと考えてもらっていたとは知りませんでした、何で僕だけヒット打っても怒られるのかと・・・」なんて会話が逆に清々しくてよかった。


 私にしても反省点は沢山ある。


「こいつを成功させることで、俺を見下してる先生を見返してやる!」なんて思いが無かったと言えば嘘になる。


こういうエネルギーは、選手と利害が一致すれば強烈な威力を発揮するが、すれ違ったときには地獄である


先にも言ったが、才能のある選手の挫折はホントに大きい。


私のような、『努力したけど負けちゃいました。』なんて程度の才能は、言いようによっては幸せである。


先日、他界してしまった元メジャーの投手を引き合いに出すまでもなく、


野球の才能は凄いが人づきあいが不器用だという選手は数多い!


 


つづきます