私の行っている「スポーツトレーニング論」という授業(1年生対象)で学生による授業評価アンケートを行った。
これはFD活動といって、授業を改善する努力をすることが現在の大学では義務付けられています。
このシステムはお互いを尊重した関係であれば、双方で高まるような意見の交換がなされ非常に素晴らしい威力を発揮する。
『なるほどそこは修正したほうがいいな!』と前向きに取り組む活力になることも多い。
・・・がしかし、そうでない場合には強烈な打撃を受けることは大学教員であれば皆知っている。
ちなみにアンケートは当然のことながら匿名である。
ちょっと前に触れたが批判というのは例え一人であってもかなりのインパクトがあり、状況によっては100人の賛辞より一人の中傷の方が圧勝してしまうことが多い。
さて今回、私の授業評価・・・
良かった点
「現場での話が聞けた」「映像を見れて良かった」などなど好意的なご意見を頂戴できた。
改善したほうが良い点
「トレーニングの話をもう少し多くしてほしかった」
なるほど!確かに、1年生の授業ということで私は、現場での人間関係論や考え方の話が多く、具体的なトレーニング方法のボリュームは少なかったのかもしれない。
これは意図的に学生としての土台作りも考えているのでこの意見が出ることは納得できる。
この件に関しては上級生になったところでまた授業があるのでそこも計算のうちに入れていると言いワケしたい(汗)
さて・・・
「なんだよ案外、平和じゃね~かよ」
と思われた先生方ご安心を
ちゃんと私にも来てます。
良かった点 「なし」 改善点 「先生をかえる」
ふぅ~
後ろで見ていたミートが後ずさりをして黙って勉強始めました(笑)
アハハ・・・はは・・私、1年生に人気あるもんだと思って過信してました。
さて・・・
「そんなの気にしないでやればいいよ」という慰めのお言葉は確かに嬉しいのですが、
ホントに「気にしない」ならこのアンケートをやる事に対して誠意がないのかな~?
なんて悩みも生じます。
といって真剣に考えれば自暴自棄無限ループにはまりこんでいきますね・・・・
普段は学生の評価をしてるくせして、たった一人のたった6文字に揺さぶられております。
こんなの気にしない人間でありたい。という思いもありますが、逆に
「傷付く心を失わないでいたい」という気もします。
「心が傷つくという事はなかなか大した事であって、傷つき易い心を最後まで失わぬ人は決してざらにいるものではない」(『人生の鍛錬 小林秀雄の言葉』新潮社)
よかれと思ってやってた分だけキツイですが、しっかり傷ついておかねばとも思っています。
そう言われてみると以前に比べて傷つき方が甘いような気もします。
これは感性が退化しているのかもしれません。
そっちの方が心配か・・・
ふと恩師松永教授との会話を思い出す。
私:「先生~人間関係も野球と一緒で3割の人に理解してもらえたら立派だくらいに思うべきなんですかね~」
と尋ねたら
松永教授:「いやいや、1割あったら感謝だろ!」
ナルホド、 それを思えば、私の授業打率は8割です。
そっちに大感謝せねばいけませんね・・・
このような刺激的なご意見は確かにインパクトはあるのですが、それと同時に
「何かはしたのかな?」という風にも思っています。
「誤解されない人間など、毒にも薬にもならない。そういう人は、何か人間の条件に於いて、欠けているものがある人だ」(小林秀雄)
言葉によって励まされます。