kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

こだわるとこはそこじゃない!

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前作からお読みください


 自分のこだわってやっている事を素材(教材)として与えられた時に素直に受け入れにくい状況を思いつきました。


 それは、映画やドラマを鑑賞する時です。


 例えば、私は釣りが好きです。


その私が映画の「釣りバ〇日誌」を鑑賞します。


あの映画は主人公が、釣りに行く事を通して、様々な人と明るくユーモラスに交流する人情映画です。


 タイトルに「釣り」とは入っておりますが、釣り番組ではありません(当たり前だ)


 しかし、つい釣りが好きな私は「なんだよあの釣り方は」だの「釣った鯛は養殖モノじゃないか!(色で分かる)」などというところが気になってしまうのです。


時にそれをツッコめることがまるで立派であるかのように勝ち誇ってしまうことすらあります・・・


スポーツ映画でも言えます。


例えば野球モノ 「ルー〇ーズ」なんてありましたが、あれだって本来は熱血教師が不良学生を更生していくという私好みの話なハズなんですが、もはやストーリーが入ってきません(笑)「あんな動き(技術)で甲子園にいけるわけないだろ!」とか「あんな華奢(きゃしゃ)な身体で野球できるか!」などとストーリーとは関係ないところでイチイチ引っかかってしまうのです。


皆さんはそんなことありませんか?


じゃあ、どのスポーツドラマにもイチャモンつけているかというとそうではないんです。


同じ、熱血教師VS不良高校生モノで私のナント言ってもダントツは


スクールウォーズです。


前奏時のナレーションなんて暗記するほどに熱狂してしまいました(笑)


「この物語はある学園の荒廃に闘いを挑んだ熱血教師たちの記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームがその荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じ、その原動力となった信頼と愛をドラマ化したものである」


(このあとに「愛はきせ~きを~しんじ~る力よ~♪」と始まる)


 これだっておそらく基本的なメッセージは「ルーキー〇」と変わらないのだと思います。


 しかしなぜそんなにハマる事ができたかと言えば素材私がやったことのないラグビー」だったからだと思います。


もちろんウスウス、『そんなに華奢だったら勝てないだろ!』とは思いましたが野球ネタほどの引っかかりはないんです。


 これおそらくラグビーやってた人なら気になる所が満載なのではないかと思いますが(笑)


 面白いもんで、これがメジャーの野球モノだと案外気にならないものなんですね(笑)


外人のフォームってプロでも大ざっぱな感じなんで俳優がやる動きと大差がないというか、むしろそっちの方が整っているくらいで(笑) 


 ちょいと余談が過ぎましたが・・・


 要するに、自分がこだわっている種目が素材として扱われている事柄に対して


「今は何を優先して受け入れるべきなのか?」


ということを明確にしておくことが素直に学べるための重要な心得なのではないか?


 そこに無自覚だと必要な事を学びにくい!


そんな事を思いました。


釣りバカ〇誌からは、


人情の機微を感じることが主題なのであって


「釣り上げた鯛が養殖である」とか「ヒレがボロボロである」とか、「活きが悪い」とかはどうでもいい!のである!


 「ルーキー〇」からは、


教員と生徒の魂のぶつかり合いから生まれる信頼を感じることが主題なのであって、


「あんな長髪はダメだ」とか「グローブの型が悪い」とか「あんな男前は揃わない」とかはどうでもいい!のである(笑)


考えてみたら、これは学生の授業を受ける術に通じますね


 「あの先生の言い方がムカつく」とかはどうでもよくて


「必要な事を吸収する」


ことに専念しようとすれば多くの先生がいい先生なハズなんですよね・・・