野球のいわゆる「戦術のセオリー」というものを整理して指導された経験がある選手はどれくらいいるものなのだろうか?
という事をふと思い野球をやってきた組員に問うた・・・
「いや・・・教わったことはありませんね・・・」 という答えが大半であった。
私はこういう回答になる選手は案外多いのではないかと考えている。
指導者側は「当然知っている当たり前のもの」と思っており、今さら時間かけてまで説明することない・・・と思っているケースは多そうだ。
私はタマタマ、中学の監督が熱心な先生で雨天時のミーティングで黒板を使って説明してくれた。
・・・でそのミーティングが結構充実感があり、とても楽しかったという記憶がある。
ここで言うセオリーとは例えば、
ノーアウト1塁での作戦の多い順は?
.丱鵐鉢▲丱好拭辞ヒットエンドラン(H&R)・もしくはランエンドヒット(R&H)づ靂櫚ゥ劵奪帆世
ワンアウト1塁なら?
。函?辧Γ辧?鉢盗塁ヒット狙いぅ丱好拭辞ゥ丱鵐
・・・ってなような話のことです。
『俺は順番ちゃうぞ!』と言われる方もおられると思います。
ようはそういう「セオリーに対する考え方」のすり合わせをしておく作業は非常に大切なことなのではないかと。
このようなセオリーは言い方変えると「個人の野球の価値観」とも言えると思います。 集団スポーツで大切なことの一つに「価値観を合わせる」ということがあることを思えばこれは重要なことです。
野球はやる人も観る人もセオリーを持つスポーツです。
シナリオと言ってもいいかもしれません。
私はセオリーを学ぶことはそれを必ず守らねばならないということではなく、むしろそれを軸として、数ある状況の中でどう考えるか?を楽しむところに野球の味わいがあると思います。
「この場面、セオリーならばこうだが、果たしてどうする?」ってなところを味わうわけです。
同点の8回、ノーアウト1塁で打者は金本・・・
戦術のセオリーならバントだが、打順、打者の格のセオリーならヒッティング・・・
果たして監督の結論は・・・
「オ~!バントさせた~!決断したな~」と和田監督の苦渋の決断に賛辞を贈るもよし、
「バントさせるんだったらさっさと別の若手を出さんかい!」とツッコムもヨシ(笑)
とにかくこうやって味わいが深くなるわけです(笑)
また、監督は選手に思いを込めて采配をしております。
ノーアウト2塁、イニングは同点の8回、ここはバントがセオリー・・・
しかし打者は普段怒られてばかりで潜在的に力はあるが精神的にムラのある打者・・・
「本来はバントだが、ここではお前だからこそヒッティングだ!」とサインを出す監督・・・ この時、セオリーの共有ができていれば・・・
選手は「いつもダメな俺の事をカントクは買ってくれている!ヨ~シ!やったるぜ~」
とモチベーションが上がり、集中力が高まったその選手は気合一発決勝打を放ち
「監督さんの期待に応えたいと思いました!」と記者に話し、美談となって新聞に載る
・・・ということもあるかもしれない。
ダメでも選手はその後、発奮して頑張る!なんてこともあるかもしれない。
しかし、これがセオリーの共有が無ければどうでしょう
監督が勝手に「ヨ~シ、お前と心中だ!意気に感じてやってくれるハズだ!」と思ってみても、打者はそんな親心は露知らずムラのあるスイングで雑な打撃をし、チャンスは見事に潰える・・・
監督は周囲に「なんでアイツにフリーで打たせるんじゃ!野球を知ってるんか!」と叩かれる・・・
それでもその選手がまだ「申し訳なかった」などと思ってくれりゃあ救いもあるが、何せセオリーも知らないだけに自分だけに向けてくれた親心に気付くこともなく、単に自分の結果に不貞腐れて終わり。
・・・てなことがあるような無いような
セオリー共有の作業をするって大切なことだとふと考えました。