「先生には、今までお世話になりました。中途半端してすいませんでした」
競輪のY選手から連絡がきた。
この6月末を持って引退が決まった。
競輪選手は息の長いプロスポーツであると言われている。
50歳を超えても現役の選手がいるくらいである。
しかし、公営ギャンブルの選手は結果が出なければ、年齢に関わらずリストラされる宿命を背負っている。
毎年70人ほどがデビューしている。
ということは、それに見合った人数が影ではリストラされている。しかも現在は売上不振のために縮小傾向にあることも追い打ちをかけた。
私にとってY選手との時間は大阪における大きなヤリガイの一つであった。
そしてそれは、卒業したメンバーも含めた組員にとっても大きなものだった。
Y選手は身体能力は高かったのだが、結局「あと一つの何か」を掴めぬまま力を発揮することなく引退することとなった。
今思えば、もうちょい何かできたんじゃないか?
本人の苦悩を感づいてやれればまた違ったフォローができたのではないか?
「自分はどの程度アテにされている存在なのか?フォローすべき存在は居たのか居なかったのか?彼にとって俺はやるべき位置なのか?俺じゃないのか?」
この葛藤が、結局、私の指導に迷いを生じさせ、結果的に中途半端な結末を迎えることになった。
「しっかり先生についておけば結果は違ったかもしれません」
と彼は申し訳なさそうに言った。
実はこの1年、彼は私から足が遠のいていた。
連絡もあまりつかなかった。
私はてっきり、「こりゃ、私のことイヤになってしまったんだな・・・」と思っていたのだが・・・
「こんなことなら嫌がられても強引にでも引っぱり出せば・・・」と後悔
私自身の「エエカッコしたトレーナーでありたい」という我と
「こんなもんでいいか」という妥協心が合わさり、行動に移せなかった。
本当に自分自身で情けない。
夢を持ってくれてた組員にも悪い事した。
この感覚は、6~7年前に指導していた後輩がプロ野球を引退する時の心境と同じだった。
「あの時も、プロと繋がっていたくてしっかりモノを言う事ができなかったんだったな・・・また同じことを・・・」
つくづく私は結果を出す指導ができない。
結果を出すために絶対条件であるツメが甘すぎる。
やるなら徹底的にということができない。
そういう所を「いい奴だ」なんて言われていい気になってる自分もいます。
プロ向きの性格とは・・・
なんて議論がありますがどんなんなんでしょうね? 皆さんどう思われます?
ちなみに先ほどの元プロ野球選手は先月に教育実習を34歳で行い、新しい世界への挑戦を始めました。
Y選手はまだ26歳!まだまだこれから!
大けがしたわけでも、悪い事したわけでもない!一人の人間として付き合いができたらと思う。
しばらく競輪はみません