某種目の代表チームでも体罰があって、選手に訴えられたという話題があります。
その件に関して世論では(といってもネットのコメントレベルですが)
「体罰は良くない!」という意見もあれば、
「代表なんだから殴られるくらいでガタガタ言ってるな!だから負けるんだ!」
なんて意見もあります。
さらには「ゆとり世代の選手だから」とか、
「昔は殴られてもやってた」とか、まぁ大体こんなところでしょうか。
こんな事書くと怒られますが、私の中学の恩師など
「今の子は殴ったら駄目だ説明しないと動かない」などと言っております。
(別に昔だって説明してほしくなかったわけではないんですが)
この先生は私が中学生時代の時から「今の中学生は駄目だ~昔は良かった~」などと言っておりまして20年たっても変わっていないという・・・まぁ安心しましたが
そういう事を言われ続け絶望しながらも、何とか喜んでもらおうと絶対に勝ち目のない努力したトラウマがいまだに抜け切れておりません。
ですから、この手の、過去の選手は良くて今は駄目だ!という論調には過剰にアレルギー反応が起こります。
というワケで反発・・・
殴られる、吐くほどしごかれる、竹刀でひっぱたかれる、強制的に頭は丸坊主、携帯は没収、外部との連絡は一切取れず、もちろんネットなぞ見れず、生活は管理されまくりの1年間の合宿生活なのに誰も「これは体罰だ~教官を変えろ~」なんて言わないスポーツの世界がありますよ。
「競輪学校」です。
「競艇学校」だって海にブン投げられたりしてます。
ゆとり世代の若者が当然ウジャウジャいますよ。
じゃあなんで耐えれるかといったら明白ですよね!
「金稼ぐ」という具体的な自分のための目標があるからです。
だから頑張れます。 厳しい事を言われてもやられても頑張りますよ!
キツイことをやるにはそれにふさわしい見返りがあるかどうか?ってとても大事なことだと思います。
例えばうちの学生だって、なぜ勉強するかといえば「資格取得」という具体的な目標があるからです。
他の仕事だって私が学生の時なら不況の幕開けで公務員が大人気になりはじめまして、
「教員になれば食いっぱぐれねえぞ~」なんて言って、
「自分の事しか考えないお前が教員になったらイカンだろ」
という奴ほどよ~く勉強しておりました(笑)
ようするに教員として普通の給料もらうことがとても魅力的だったんですね。
今では大阪あたりじゃ、「こんなに大変な仕事な上に給料は減らされるわノルマは増すわなら教員やりたくね~わ」とばかりに倍率は下がっております。
お金だけでなく、名誉だって重要ですよね!
「苦労した甲斐があったぜ~」というくらいの名誉があるならばそれも立派なモチベーションになりますね。
さて・・・
皆さんは、北京オリンピックのメダリストとか思い出せますか?
柔道の石井選手もいましたね。
末續選手のリレーもありましたね。
ヘタすりゃロンドン五輪のことだって怪しくないですか?
現在のアスリートはとんでもない早さで世間に消費されているんです。
その切なさの中で選手はやっています。
私、思いますに昔はもっとオリンピック選手は崇高な存在と言いますか、お金の問題だけではなく世間から尊重されて名誉なものであったと思うんです。
それに引き換え、現在の選手は流行商品として扱われたあげく、例えメダルをとっても100万単位の報奨金だけですよ・・・
それまでの生活で犠牲にしたものを考えたらとてもとても・・・
という感じではないでしょうか。
ゆとりがどうのとか言う問題にして若者の責任にするのは合っていないと思います。
昔のやり方っていうのは、殴り方とか殴る程度の問題ではなく、昔は懸かっているものが違ったという点は重要ではないでしょうか。
強くなるために厳しいトレーニングは絶対に重要です。
しかし、その努力に『ふさわしい価値』を提示して共有できないのならばやはり指導は苦しく一方的なものになると思います。
選手から「アンタが勝ちたいだけじゃないの」と思われたら厳しいですよね。
これは教員にもつながる課題と思います。