おかげさまで野球ハンドブック、好評です。
さて、 本学の入学式でのこと・・・
「人生を決める人間力」をテーマにした講演が行われた。
講師は松下政経塾出身の坂東先生であった。
『人間力』とは『人間としての魅力』であるという。
「この人についていけば成功できる」「あの人が言うなら賛成する」「あの人が言うなら協力する」と言わせしめる力であるという・・・
う~ん・・・程遠い・・・
そして、そういうものは『他人に対する思いやりによって滲み出てくる』もので人のために惜しげもなく自らの働きを差し出すことによって養われる・・・・という
う~ん・・・日ごろ組員を虐待している自身を顧みると、ますます気が遠くなる・・・(汗)
そんな話の中でストロークという話があった。 ストロークとは他者への働きかけのことである。ストロークにはプラス(肯定的)のものとマイナス(否定的)のものとがあるという。
人は誰でも自分の存在を認められたいという欲求がありストロークを欲する。
それはかなり強烈なものであるという。
さて、あるストロークがなされ、それがプラスなのかマイナスなのかは相手が決めるものだという。
つまり、自分は良かれと思ってやったことでも相手が「否定」と捉えれば「否定なのである」ということだ。
う~ん、日ごろ価値観を押し付けている私はただただ反省・・・
組員の皆さまごめんなさい(汗)
さて、その後の話・・・ 「愛」の反対は「無関心」であるという話もあった。
人間何がツライって無視されるのは相当にキツイもので、3大欲求なんて簡単に吹き飛ぶものである。
「私と関係ないから」と言って「無関心」になるのではなく、相手に関心を持って働きかけていきましょうよ、そういうのも人間力ですよ、という。
よ~し!そうだな~やってみよう! ・・・と思ってみたものの、
「ハテ?これってホントにできんのか?」という疑問が・・・
皆さんは引っかかりませんか?
だって、ストロークが肯定か否定かは「相手が決める」って言うんですよ。
なら、「相手に否定に取られると悪いからあんまり言うのよそう」って思うのもまた心理ですよね・・・
と思いきや、「無関心ではなく、他者にもっと働きかけましょうよ」って、これ両立させるの難題じゃないですか?
少なくとも私は頭を抱えてしまう。
だいたい私なんて口角泡を飛ばして熱心に話をしていたら、
「組長さんって伝えたいことが沢山あるんだね~」なんて冷ややかに言われちゃったり、「話がなげえ」だの言われまくってますから(泣)
じゃあ黙ってりゃ、「不機嫌になった」だの「感じが悪い」だの言われるわけです(泣)
今のところ私には100%相手に「肯定的」に受け取ってもらえる選択をできる判断力も基準もない。
100%を狙う付き合いをしようとするとドンドン無機質な感じになる気がする。
だから失敗を恐れずに・・・なんてわけはなくて、メチャクチャ恐れながら
「多分ここだろ!ウォリャ~」って感じでやっている。
外れりゃ落ち込む。
何にも喋らないのに、ちゃんと生活が成り立っている人を見ると羨ましく思うこともあるけどやり方がわからない。
だから、無難にくる人よりも「失敗も怖いけどそれ以上に何か伝えたい」という人には愛着を覚える。
反対に自分は失敗したくないから「自分を出さない」けど、情報は欲しいから「組長は喋れや」というスタンスにはどうにも不信感を感じる。
不信感があるなら、喋らなきゃいいのにと自分でも思うが、ついつい何とかしようとするから大やけどする。
こういう性格は、私のパチンコ台の選択にも表れる。 ハマっている台をつい選んで「俺が出したる!」とつっこんでしまう。
自称パチプロのM川氏に言わせれば一番ダメなパターンであるという・・・
台にストロークはいらない
(なんの話だ)