最近買った本より・・・
人は自分で選択して行っているということ自体が大変なエネルギーを持っているという。
簡単にいえば、「やらされてやる」ものより「自分からやる」の方がやる気がでるということ。
選択ができるということが、どれだけ人に勇気や希望をもたせるかということ。
それは動物の本能ともいうべきものだそうだ。
人間が作った「恵まれた環境にしたつもり」の動物園の動物は環境を選べないということからくるストレスで寿命を縮めている例は衝撃的であった。
しかし、選択に対する考え方は、文化の影響が相当に強い。
とある多国籍企業の例では、ある部署で従業員一人一人に権限を持たせ、上からの指示のままに作業をするのではなく自主的に目標を設定し達成する責任を持たせたところ、従業員の満足度は上がり、生産性も大きく向上した。
その結果を受けて別の部署でもその方式を取り入れたところ、
「ここの上司は能無しではないか?」と逆に不信感を持たれてしまったという。
つまり、上司が従業員からの指示の求めに対して「君はどうやったらいいと思う?」と聞き返したことを、
「なぜ上司が管理するという自分の仕事を部下に押し付けるのだろう」といぶかしく思ったのだという。
実は、先に挙げた例は主にアングロサクソン系アメリカ人の部署で、自分の意見を表明できる機会を歓迎した。
一方、後の例はアジア系の移民のグループであったのだという。
なるほど『選択』・・・面白い。
よく、ベースボールと野球の違いの話で、ベースボールは「個」が重んじられ野球は「組織」が重んじられる。というような話とも繋がるような気がする。
その典型として「バント論」がある。
最近ではメジャーでもバントをするようになったが、一昔前ならばアメリカはバントはしないイメージであった。
つまり無死一塁でも「打者に何をするかの選択を任せる」のがアメリカ流である。
一方、日本の野球は監督(組織)からの命令として「バント」がある。選択は管理者(監督)が行う。
これを先の例を踏まえて、『選択の文化の違い』と考えると、どっちがいいとかではなくて、国民性(選択に対する姿勢)に合っているという言い方もできそうだと思い面白くなった。
さてここで私なりに作った野球をやっていたあなたへの問題
無死一塁であなたが打席に入る際、監督のサインをみると
ナント「ノーサイン」
つまり「お前が選択して自由にやれ」というのが出た時、あなたはどう思うであろうか。
試合は超重要な試合。しかも点差は拮抗している。
「よ~し、俺が考えるぜ~!」とワクワクできる人はアメリカ的発想かも(笑)
多くの常識的野球人は「えっ?俺が作戦を決めるの?責任を取らされるの?」と戸惑うはずだ。
野球アルアルの一つで 「考えていけよ~」と言われて打席に入り、何を考えていいのか分からず、
とりあえずバントの構えをして見送る。というのがある(笑)
初球から強振してフライなんか上げた日には
「だから考えてイケといったろうがこのタコ!」なんて言われるのがパターンである。
「監督が決めてくれ~」というのが心情であろう。
書いていて思ったが、野球の監督の面白さはこの「選択を沢山できる喜び」にあるのかもしれない。
『監督の選択を選手が実行するスポーツ』とも言えそうですね。
こんな話を誇らしげに大将君にしていたら、
「それにしても組長の選択(競輪)は当たりませんね~」と上手いことを言われた。
秋元氏の本(写真)に書いてあった。
「真のギャンブラーとは異常なまでの自制心のある人間のことである。自分の感情を制することができる強い精神力を備えた人」
正しい選択の道は険しい。