例年私はポケットサイズの日記帳を買っていたが、今年はちょっと気合を入れて例年よりひとまわり大きいものを購入した。
小さい日記帳であると、出来事の羅列になるだけで、そこに込められた感情まで書き記すことができない。
今年は、「何を感じたか?何を考えたのか?次に活かすべき反省は?」というようなことも書き記したらいいのではないか?なんてことを考えてみた。
しかし、だいたいこういう事を考えるのは正月に良いものを食べて寝て、気力が充実しているときである。
かつてポケットサイズにしたのは、「せめて疲れていても、一行でも継続しようと思った」という現実的な事情があったことを忘れている。
皆さまは日記をつけておられるでしょうか?
そもそも日記とはどのようなものなんでしょうか?
私には日記についてこんなトラウマがある。 それは高校野球部1年生時代のことである。
4月に入寮して諸先輩方から大変に情熱的でスキンシップに溢れたご指導ご鞭撻を賜っていた時期の話である。
私は親から立派な日記帳を授かっており、短文ではあったがその日に起きたことを記すようにしていた。
激烈な4月を乗り越えた5月の連休のことである。
チームは春の関東大会に出場し、たしか宇都宮かなんかだったと思うが泊りがけの遠征に行ったことがあった。
1軍の諸先輩が居なくなった野球部寮はそれはそれは平和であった。
残っている先輩は皆さんギラギラしておらずイイ人ばかりであった(だから補欠なんですが 笑)
チームは順調に勝ち進み、遠征期間も延長されていった。
試合結果が寮内放送で流れるたびに各部屋から「イエ~イ!」という歓声が上がっていた。
メンバー外れてもチームの勝敗を案じているんだな・・・さすが名門高校だ・・・
なんてワケはない。
ようするに1軍が帰ってくる日が伸びて嬉しいということであった(笑)
その証拠に勝っても負けても帰ってくる決勝戦の結果には皆さんそんなに関心が無かった(笑)
さてそんな期間の中で、大会が雨天で順延になった日があった。
勿論それでも皆さん大喜びであった。
私はその日の日記にこう記した。
「今日、雨で関東大会が順延になった うれしい」
これがのちに災難となった。
1軍が残念ながら無事に帰ってきてしまい、またまた激動の日常が始まっていたある日のこと寮の自室に戻ると、同室ではない先輩が私の部屋にいてなにやら本を読んでいる・・・
ゲッ! なんと それは私の日記であった!
・・・いやな予感
後日行われた定期的ご指導の時間
「あの日記がお前の本性だったんだな!」とこれまた熱意あふれるご指導をいただいた(泣)
「あんたも喜んでいたじゃないの・・」と内心は思いながらも私は学習した。
「日記は世間体から解放された自分をありのままにさらすところではなく、敵に読まれることを前提に書かねばならない」
この日を境に私の日記の性質は変わった。
簡単に言うと自分の日記なのにウソを書くようになったのである(笑)
「あの先輩のバッティングの技術は凄い!」とか、
「いつも怒ってばかりいるあの先輩は実はいい人であった」
などと本来、自分の感情通りに書けば100%憎悪の対象となる先輩を褒めたたえる文章となった。
こんなことばかりやっていると、ちょっとした時にふと思う・・・
「日記にまでウソ書いて俺は一体、何をやっているのだろうか?そもそも日記ってナンダ?」
さらに突き詰めれば・・・
ホントっていったいなんだ?
ホントの気持ちって書けるものなのか?
ホントの気持ちを書いたものってどこに保管しておくべきなんだ?
そもそもホントの気持ちってホントに分かってもらったら嬉しいのか?
考えるほどに頭がこんがらがるが、こんな議論をできる仲間ができたら結構愉しい!
一つ言えるのは
ホントの気持ちを表現するってかなり技術がいる・・・
ちなみに、この高校時代の日記の経験が無駄であったかというと、あながちそうとも言えず、現在のブログを書くことに大変に役に立っている(笑)