前作では、自分でも書いていて思わぬ展開になり「監視と見守るは何が違う」という禅問答になった。
(私が餌をくれるかどうか監視しているようです・・・)
例えば、よく自然モノの番組で親熊が子熊に狩りを指導している(体験させている?)ようなシーンや、鷹かなんかが飛び方を訓練しているようなシーンでは「親が監視しております」なんてナレーションよりも「見守っている」という表現がふさわしいと思います。
逆にプールの監視員なんていうくらいで、ルールを破って潜水する奴やら、プールサイドを走り回るのをフエを鳴らして注意するようなのは「監視」と言う方がふさわしい感じがします。
日本の海域の最前線で防衛に努めている方はもちろん相手を「監視」しています。
私の思いつくままに述べますと・・・(文脈はメチャクチャですいません)
熊の狩りの練習の場合は、ようやくシャケでも捕れた時に「いいぞ!」と言っているのかもしれません。逆に捕れなかった時には放っておくか、ちょっとは見本くらい見せるのかもしれません。「ナンデ捕れないんだバカ野郎!」とは言っていないのではないでしょうか?(言っていたりして 笑)
プールの監視員の場合は、悪いことした時には警笛を鳴らして注意しますが、「今の泳ぎは上手かったね~」なんてことを言っているのは聞いたことありません。
イメージ的には
「見守る」は対象者の世界が広がっていくことを期待する行為であり、「監視」の方は対象者の世界が広がらないように抑制する行為であるように思います。
これは職場なんかでも言えることだと思います。
「監視」されている気がする職場はストレス満載でしょうし、「見守られている」気がする職場は勇気100倍でしょう。
「監視」に匹敵するほどの威力のあるものに「無視」というものもあります。
「無視という監視」なんてのもありそうですがいかがでしょうか?
普段、全く無視されていたのに、何かやろうとした途端にイヤミなんか言われたらもう効果てきめん
「あれ?いままでの無視は見られてなかったのかと思いきや、バッチリ監視されてたの?」
なんて思い出したらもう負のスパイラル回りまくりで、メンタル崩壊カウントダウンの始まりではないでしょうか?
まぁ、こういうのは「あれ?実はみんな大したことね~んじゃね~か?」というところに気づくことができれば一気に道が開けるものですが、これがナカナカ難しいものでして、私の場合はある意味で、
「なんだよ!野球界とかいって偉そうにしているが、いざとなったら誰も責任とらね~じゃね~か!バカ野郎!」
などと、もうヤケクソになっていることと、不思議な流れでワンダーランド大阪に流れ着いたのでタマタマやっておりますが、ちゃんと周囲と協調してやろうと思う人ほど大変なことだと思います。
※ちなみにこれは真面目に悩んでいる人にとっては有効ですが、すでにズウズウしく「人の感情を舐めてる」ような人ほど「そうだそうだ!」となるもんでますます真面目な人が閉口してしまうのですが・・・真面目な人にとどきますよ~に
「監視」の恐怖というのはナカナカ恐ろしいものでありまして、かつての戦時中の状況を語る資格は私にはありませんが、現在話題になっている○○国なるものも、監視の恐怖で制圧しているように思います。
まぁ、そのレベルの話はちょっと難易度があがりますので控えます。
さて、プロ野球選手なんかを見ますと、監督やコーチを「監視者」と捉えている選手は早々に消えているように思います。「見守ってくれている人」と思えたら飛躍するのではないでしょうか。
やっぱり、月並みではありますが「日常」が大切でして、
「相手が伸びるといいな~」という根本姿勢の中でのふれあいがまず基本にあり、「人に望みを持つ」(「これを人望のある人という」とかってどっかに書いてあったけどそれは出来すぎた話なような気も 笑)
ことが大切かと。
・・・で、相手に対して「監視」で臨むのか「見守る」で臨むのかは相手や状況によって変わるのは当然の話です。
先日、センター試験の試験監督をやりましたが、受験者にとっては私は「監視者」でありますが、といって私の思いとしては「おかしな事態が起こったり、変な奴に気を取られて力が発揮できなかったりしないように守ってやるからがんばれよ~」と見守っている気持ちもあったりしまして・・・
う~ん、なんだなんだ・・・また話が混乱してきた
見守っている感を出したいが出せないという方へ分かってほしいこと・・・
私の場合ですが、
何かをやろうとしている者は基本的に不安だということを意識するとだいぶ違うと思います。
その者に対して冷静に「それはダメだ」とか理路整然とした様子で言われるのはナカナカきついものがあります。
その弱点を指摘する前に、その発想を認めるというか理解しようとすることは難しいことでしょうか?
どうも悪い人ではないのに恨まれている人は、
『完全にできあがらないと褒めてはいけない』と思い込んでいるフシがあり、良かれと思って指摘したことが「監視」と取られてお互いに不幸になるということがあるかと思います。
あと重要なのは、
「全体批判」なのか「部分批判」なのかは明確に意識して分け、それをしっかり伝達するべきと思います。
批判されるほうはビビっていますので、説明が少なければ
「全体批判」と思うのが常です。
つまり、「あの人はなにをやっても全否定する」と取られてしまいます。
発想から間違っているなら全体批判になるでしょうし、発想はいいが方法が少々難ありならば部分批判であることをまず表明してから指摘すべきです。
そうでないと、その防衛策として「食うためにやってんだ!」などと絶対に否定されないロジック(といえるかわからないような理屈)でヒステリックになるか、無気力になるかになる気がします。
私の場合は指導している時に
「やろうとしてることはあってるぞ~そのままでいけ~」
といういい方を多用します。
これは、まだできていない時に選手が不安になるタイミングで言います。
例えば、バッティングの技術習得で以前より空振りが増えたなんて言う時が分かりやすいかと思います。
おっと・・・またどんどん話がそれる・・・
とりあえず、締めますが、今の若者が無気力だのなんだのと叩かれますが
今の若者の
「ネットからの監視され感」って想像を絶しますよ・・・
とんでもないストレスの中で生きております。
そりゃもう新しいことなんてやる気なくなります。
なにをいいたかったんだか・・・
とりあえずまた修行だ・・・
人は思い通りにならないことを学ぶ研修・・・
なんかも~メチャクチャな文章ですいませんホント・・・