S高校オリジナルの
スーパーストロング@パワーバー エクササイズ!(特許出願中!)
将来、演技派俳優になるための表情づくりに劇的な効果があります(笑)
ハヤシデ隊員(右)による、
スーパーストロング@パワーバーエクササイズミラクルレッグメソッド!
ハヤシデ隊員の指導スタイルは
『トレーナー自己陶酔・選手道連れスタイル』であります(笑)
ハヤシデ隊員は、自分のトレーニングを遂行しているのみであります(笑)
選手が「キツイです~」と文句を言っても
「アッハッハ~じゃあ次」と自分にしか興味がありません(笑)
しかも、マイプロテインを持参してきっちり栄養補給をしております(笑)
選手というのは面白いもんで「この人に言ってもダメだこりゃ」となると手を抜くのもアホらしくなるもんです。
自分の腕のパンプアップに意識を集中させているハヤシデ隊員(左)
コラコラ!少しは選手のほうも見なさい(笑)
思いやりのキャッチャー講習会
構えによる印象の違い、『相手の身になって構えましょうの巻』
相手とは投手であり、打者であり、審判でもあります。
キャッチャーといいますのは何もしていないようで何もしていない人もいますが、
ちょっと相手を慮る(おもんばかる)ことでやれることが沢山あるようなないような。
自分のための技術があんまりない気もしますが・・・今になるとこのセンスは随分と仕事の役に立つな~と感じたりします(笑)
ピッチャーやらショートやらは自分が目立つことばっかりに熱心で相手を引き立てるなんて気持ちはサラサラないのと対照的です(笑)
ピッチャーがキャッチャーを大切にするようになると随分と変わると思いますがね。
キャッチャーが「お前はカベなんだから全部止めろ!」なんて監督に言われているのを見てピッチャーまでが「そうだそうだ」みたいな顔してるのが普通になっているが、それじゃ~キャッチャーやりたがりませんわね。
さて、写真がなくて申し訳ないが、今回は練習メニューとして少々実験をしてみた。
塁間ダッシュ100本である。
どこが実験なんだ?
一番、古典的で何も工夫もないメニューではないか?
そうです、字にして書いたら一行で終わりです。
これで、トレーニングコーチとして指導したと言ったら怒られます。
しかし、私のこの練習でのテーマはこれでした!
『面白きこともなき世を面白く住みなすものは心なりけり』(高杉晋作)
「もっとも面白くないと思われる塁間ダッシュ!を自分の力で面白くしてみろ!」
ということです。
やり方はコーチは順番に「用意、ピッ!(フエ)」をするから、自分の発想で自由にダッシュせよ。ただし、進行が滞るからジョギングはやめてね。20本ごとに3分の休憩を取るよ。
ということにしました。
これの狙いは、もう先に伝えたのですが、野球においてランナーである状態というのは『非常に孤独』です
自分以外は皆、敵です。(守備はなんとかこいつを騙してやろうと思っている)
リードすること一つを取っても、
「俺はこれぐらいでいいのかな?」とか「ここにいていいのだろうか?」というのを自分で判断しなければなりませんし、ヤジまで飛んでくるし、中には後ろから砂かけてきたり、集中を削ごうと話しかけてくるような野手までいるわけです(笑)
そのための練習と思えば、他の選手がサボっていようが自分と違うことをしていようが自分の発想を貫くことが大切となります。
てなことを考えてやってみました。
結果として随分と集中してやっていました。
盗塁を想定する者もいれば、タッチアップを想定する者、守備を想定して走る者、トレーニングとしてうつ伏せからスタートする者、後ろ向きで走る者、中にはバットを持ち出してスイングしてから走るという想定の者まで現れました。皆でやっていますが、個人が意識をもっています。
なんにも考えないで走っているのがバカらしくなる光景でした。
さて・・・
このやり方の効能は、「やる気のある者が非常に喜ぶというところにあります」
やる気のある奴にとって指導者から受けて大変な負担なのが
「やる気のない奴の面倒をみさせられること」です。
ですから、この時、休憩から戻る時間に遅刻した選手がいましたが、全体からハズして別枠で練習させました。これはオトナの仕事と思います。
これは私自身も経験しているので言えますが、
大体、主将を任されるような選手は、チームのことを配慮する気持ちのある者がなりますから責任を感じます。
やる気のないような態度をする者は基本的にまだ「自分のこと」しか興味が無い状態ですから水と油です。
オトナである指導者ですらやる気を出させることができない選手を、同じ選手の立場である者に背負わせるというのはナカナカ理不尽であります。
『問題解決能力の育成』などという言い方もありそうですが、
オトナが解決できないレベルの問題を選手が解決できたら逆に指導者のメンツ丸つぶれです。
恨まれるブタ役は指導者が負うべきと思います。
だいたいここがトラブルの元になります。
ですから、このやり方で「他人に左右されずに自分の考えたダッシュをせよ」というのは自分のことに集中できます。
・・・で、トレーニングには「意識性の原則」というのがありまして、要するに
「なんの効果を狙ってこれをやっているのか?」
ということを理解していないでやるトレーニングは意味がない!
というセオリーなのですが、
私はこれを
「自分で考え付いたトレーニングは他人から見てどんなに幼稚に見えようとも、それは本人にとって必ず効果がある!」と解釈できると思っています。
指導者が、練習方法を思いついて選手にやらせても指導者ばかりが上手くなって選手にちっとも伝わらないというのは指導者アルアルですが、これはまさに意識性の原則です。
そこにはまず「何をどうしたいか?」という課題が明確だからです。
ようはそこの共通認識さえバッチリ決まれば、どんどん進むハズなんです。
逆にそこが決まらずに、有名な選手がやっているいい練習(なハズなこと)をやってもダメなのは当たり前です。
さて・・・選手が自主性を持って練習するようになったら指導者は居なくていいのか?という問題があります。
教員が監督をやっているという場合には、教員としての雑務がてんこ盛りだったりするので「できれば業務をやりたい」という場面も多々あるかと思います。
「ちょうど職員室の窓からグラウンドが見えるからいいべ~」
というスタイルの監督も多いかと思いますが、これは私も選手側で経験しておりますが
「全く効果でません!」むしろ逆効果です!
監督への不信感すら高まります!
上からスピーカーで怒られたりしたときの現場の空気たるや・・・
怒られるようなことしている奴が、反省していることはまずありません。
その時のまとめ役のつらさったらないです。
『監視』と『見守る』って、行為は一緒ですが選手の受ける印象は全く違います。
同じ見ているでも『監視』と取られるか、『見守ってくれている』と捉えるか・・・
『監視』は敵に感じますし、「見守る」は味方に感じます。
どうすれば監視でどうすれば見守るなのか・・・?
実は私は答えを持っておりません。
経験から言えるのは私と長く付き合えている学生さんは私が見守ってくれていると感じ、離れてしまった学生は「監視されている」と思われてしまったと思います。
おそらく、私の無意識にやっているところに分かれ目がありそうです。
だからこそ怖いです。
コーチングにおいて選手との距離は非常に大切です。
分かるやつがツライのは世の常ではありますが、せめて野球界は改善する方向になってもらいたいです。
一筋縄ではいかないのがコーチングですが、そこを「面白く」していきたいですね。