前回に続いて研修で学んだことを少々・・・
岡澤祥訓先生 (大阪体育大学特任教授)
スポーツメンタルを学んでいる人ならよくご存知の先生。
卓球日本代表のメンタルサポートもしている。
私はこの先生のお話が大好きであった。簡単に言うとこの先生のファンである。
私が熱心に勉強していた20代前半のころ、NSCAジャパン(トレーニングの組織)の大きな研究会で講演を聴いたことがあり、その時に大変に感動した記憶があり、この先生の名前があったことも今回の研修を受けることにした決め手であった。
日本社会の運動量に劇的な変化をもたらしたのはファミコンの出現であったという話は私の世代はドアタリであったので身にしみて聴くことができた。
少年時代にファミコンを経験した我々の寿命はいったいどういうことになるのか?みんなで実験しているようなものである。
また携帯電話も、それが30年後にどういうことになるのか?これもまた皆で人体実験しているようなものである。
テレビ画面やスマホは平面の2次元の世界である。
当たり前だが現実は立体の3次元である。
例えば、相手の投げてきたバスケットボールを正しく認知するために脳が補正してボールを見ているのだという。そうでないと、いきなり目の前でデッカクなったりする。距離がつかめない。
そういう補正能力が鍛えられるのがスポーツだったり日常のあそびだったりするのだが、これが2次元のテレビゲームばかりの生活だったらどうなるのか?
視野がせまくなり、距離感つかめずボールも取れないなんてことになるかもね・・・なんて話を聞いた・・・
「あ~そんなこともあるかもな~」なんて思って迎えた昨日の私の授業でのこと・・・
雨天だったので体育館でカラダを動かそうと思い「2人一組の鬼ごっこ」をした。
これは2人一組の鬼ごっこを20ペア(40人)で一斉に行うやりかたである。
こうすると、他のペアも入り混じる中で行うので周囲を見ながらやらないと衝突の恐れがあり危険である。
だからそれを回避しながら相手を追いかける敏捷性や反応能力や先読み能力が育成され、サッカーやバスケなど対人スポーツにもよく用いられるドリルである。
・・・で、やってみたら
思いっきり正面衝突が発生!して、
一人は歯がカケた、もう一人は口の中を切るのとアタマを少々うったようだ・・・幸い、保健室で安静にしてすぐに復活した。
「そんな、皆で鬼ごっこしたらアブナイではないか!危険予知できたハズだ!裁判だ!」
となったら私が負けるであろう。
そりゃそうですよ、
「だからその危険を避けるようになるというエクササイズなんだから、ワザと危険を設定しているんですよ」
という主張って、今の時代に通るのでございましょうか?(汗)
ホントに運動してないんだな~と実感した出来事でございました。
いや、ここでいう運動って体力テストで測るようなものでなく、人間が大人数で動いたときに起こるであろう危険とかに対する認知といいますか・・・
こりゃテーマパークの人ごみだの繁華街だのあぶね~ぞ、ドンくさいのが沢山集まっているわけですから・・・
ドンくさいは動きがスローという意味ではありませんぞ。
「この動きでいったらこのあとこうなる」みたいな予測能力といいますか、これが一番重要だと思いますけども・・・
「いやだから、みんなで一斉にそうやって動いたらそうなるでしょうが・・・待てばいいのに・・」
なんて事故が多いと思うのは気のせいでしょうか?
そこに「自分は損したくない、負けたくない、乗り遅れたくない」が加わるから皆で詰まってる・・・
高齢者の事故が増えてるなんて言いますが、あんまり騒ぐからかえって「俺は負けない」なんて言って無理な運転になることもあるのではないでしょうか?
さて・・・
岡澤先生の主題はモチベーションであった。
「やらされるではなく、自分でやる選手にするにはどうすべきか?」
高校野球の例はそのものズバリであった・・・
「あれだけ朝昼晩と打ち込んできた野球を大学にいくとほとんどやらないというのはどういうことなのだろうか?」
ようするに、日本における野球は「外発的動機付け」と言って
「甲子園があるから」とか「進路につながるから」というような外部からの刺激で成り立っている部分が大きい。
さらには「監督がおっかないから、殴られるから」という理由で練習していた者にとっては
「怒る人がいなくなった」状態では練習する理由を作れなくなってしまうわけです。
外発的動機付けの人は「監督がいないとやらない」となるわけです。
つまり「自分を生きていない」ということです。
「上手くなるのが楽しいからやる」というのが内発的動機付けでございます。
プロで長くやれる人は例外なく「内発的動機付け」で野球をしています。
そこにうまくつなげられないと長くはやれません。
岡澤先生の話では「いかに有能感を持てるか」だと言われます。
有能感とは「予測不能な状況や環境の中で、自信を持って積極的に対処していくことのできる能力=運動能力・技能が高いという自信」だそうです。
ですから、いかに「できる」という実感を持てる指導ができるかがポイントになります。
「補助すればできる」も「できる」なんです。
バッティングでいえば汚いスイングでも投げる方が当たるところに投げてやって打たせりゃいいんです。
「お~俺は打てる」と思わせればあとは、「もっと速い球も打てるになりたい」というような段階を上げた欲求が生まれます。
「最初に100点とらせてやってよ」とは岡澤先生の台詞です。
つい「それじゃ~甘い球は打ててもキレのある球は打てない」とか初めから言うから元気でないんですよね。
指導しているほうは親切で言っているだけに指摘しにくいのですけども・・・
「調子に乗せてはいけない」と言いながら「もっと堂々と自信を持って行け!」って指導している人っていそうですけど、そこの境目ってホントにあります?(笑)
なにをどうすりゃ悪い「調子にのる」で、どこをどうすりゃ「自信を持っている」になるって説明できるのかしら?
ヒットを打って喜んでいたら「そのくらいで満足するなボケ」と言われるから、
淡々とプレーしていたら「お前はもっと気持ちを出せ!」と言われてどうしましょ?となっている選手って多そうじゃないかい?ノボル先生よ(笑)
まぁ、こういう中で育てばある種の社会を渡っていく中で必要な忍耐力というか鈍感力はつきますけども・・・
運動の楽しさとはなにも「ラクであることではない」と岡澤先生は言います。
「できないことができるようになる楽しさ、記録が伸びる楽しさ、それを支える、支えられる楽しさ」
これを味あわせるためには勉強しないといけないんですよね~
でも、これのムードになった時は指導者冥利につきます。
ちょっと初心を思い出した話を聞けました。