おもに中学受験のことであったが、これは何も今に始まったことではなくて
私の少年時代にもあったことだと思う。
ちょうど、中学受験の小学生が電車の中でハンバーガーを食べながら走り回り、塾の行き帰りをしている様子をあ~だこ~だと話題になっていた。
その頃にだって、今の教育界で話題になっているイジメ問題もちゃんとあったし、競争ばかりでギスギスしているからゆとりをもたせようと始まったゆとり教育だったと思うが成果はいかばかりであったのか。
あの頃に勝ち残ったメンバーは幸せに暮らしているのであろうか・・・
あまり接点がないのでわからないのであるが、さぞかし立派になられていると信じたい。
さて、番組の中で「そんな偏った教育でいいのか?」とこれまた30年前にも話題になっていた内容があり、現在では塾のほうが気を利かせて、キャンプに連れて行ったり、体操の教室も大流行であるそうだ。
体育学部出身としてはこういった産業ができてきたのは、喜ばしいことなのかもしれないな~と思いながらも「大変だろうな~」なんてなことも思う。
体験格差がその後の収入の格差や幸福感ともつながっているという。
体験が多いほうが幸福感も大きいのだという。
そう考えると、野球部にいながらもスキーをしたりレジャーを楽しんでいたほうが幸福感は高いと言えるということですな・・・
そういう感覚と対極にあるのが「職人気質」なるものであるが、そりゃ~時代おくれになると思う(笑)
・・といって、時代おくれと言われるほうがマシと思っている自分の感覚がなんとも。
河島エイゴを聞きすぎました。
さて、そんなことより、その体験映像を見ていて思ったのは
「これはいわゆる自信につながる体験なのだろうか・・・」なんてなことを思ったのですが・・・
例えば、私は少々魚釣りをするが、
「俺は釣りをしたことがないので、うちの息子に魚釣り体験させてやってくれ」
・・・ってな依頼を受けたと仮定する。(けっこうありそうじゃないですか)
(見事に良型キスを釣り上げたニシちゃん)
こういう体験をさせろ!というわけですが・・・
その時に私は、どの釣りにいくであろうか・・・なんてなことを考えた。
考えるポイントはいろいろとある。
まずは海か川か?
例えば海とする。
海と言っても、その辺の堤防もありゃ(私のいる大阪南部はすぐそこが海岸線です)砂浜もある。
海ならどこでもいいかといえば、例えば海水浴場は禁止であるとか、ここは禁止とかあるから場所は限られてくる。
ちなみに、釣りの大原則からいえば、やはり交通の便がよく駐車場も近くにあって・・・なんて場所は魚が少ない。
やはり、ハンターとして魚を採りに行くのであれば人が来ないところに自分の労力を使って行くというのがセオリーであります。
磯も危険はいっぱいですし、トイレ? トイレのある場所で魚なんか採れるかい!と怒られてしまいます。
「なんでこの柵があるのにあの人はあっち側にいるわけ?」というシーンは堤防釣りをしている人ならばよく分かると思う。
柵をすりぬける忍術を持っているようである(笑)
そういう人はボルタリングをやってもよさそうである。
まさか、他人の息子を連れて忍法柵くぐりを伝授するわけにもいくまい。
それとも、「二人で協力すればどんな柵も越えられる」という友情の大切さの指導・・・
ということになるのか・・・消防士の訓練など見ると
「ほ~そういう方法もあるのか~」などと思ってしまう人は要注意(笑)
ギャグですよギャグ。
そもそも初心者に「釣れないのもまた釣りよ!」などと名言ぶってみてもそれは釣れる基本があってのことで、最初がそれじゃ~となりますね。ホントに世話してくれたのか?と疑われかねない。
そんじゃ本格的に・・・と船に乗るという手段もありますがこれは、どんなに安全だといっても万が一はやはり発生しますし、船酔いということもあります。
釣りといいますのは糸が絡むやリールが故障するなどトラブルもツキモノでございまして、本人が受身でありますと簡単に「つまらなく」なるものでもあります。
・・・まだまだいくらでも書けますが、そこが本題ではないので(笑)
要は釣りを体験してもらうのはもてなすほうは結構な労力(心労も)があります。
(他人の息子の面倒を見ているイメージ図 )
やはり身内が指導できるのが一番であります。
じゃあ素人の家庭にはつりは無理なのか?
前フリが長くなりましたが、他人の息子に安全で、かつそれなりの魚をつらせるタメに存在しているものに『釣り堀』なるものがあります。
これは、連れて行くほうにも大変なメリットがありまして・・・
安全でかつ道具も貸してもらえて「手軽に体験させたこと」にできるわけであります。
つりを本格的にしている人ならハラの中では「こんなもん体験になるかい」と思っておりますが(笑)
管理釣り場(つり堀)でポピュラーなのはニジマス釣りやらヘラブナ釣りでございますが、大阪・和歌山方面では『海洋つり掘』なるものが盛んでありまして、これにはなんとブリやら鯛やら立派なものが手竿(てざお)で釣れたりします。
私はこれを見ると悲しくなる
「鯛やらブリの尊厳が・・・・」などと思ってしまう。
私服の素人に釣り上げられるブリや鯛・・・・
一応、魚にも格ってものがあってな~
などと思ってしまうのが「時代おくれ」たるゆえんでございますが・・・・
またまた話が逸れました。
私にとっては否定的な海洋つり掘りでございますが、
それでも例えば私の上司の50教授が
「スマンがうちの息子を釣りに連れて行ってくれ」と言われたら、海洋つり掘りに連れて行くような気がする。ようは、それで済ませたい。
非常に助かる。こっちが
工夫してホントの自然に連れて行ったとしても、その労力は知らない人には理解されない。
だからメンドクサイからチャッチャと釣らせて終わらせたい。
なんだか今の世の中ってそういう付き合いが多くないですか?
だから
「釣れない釣り」を体験させてもらった場合には
「ちゃんとした釣りを教えようと
マトモに向き合ってくれてありがとうございます」という感性の方が重要だと思う。これが言えるのはやはり理解できている人か、もしくは反対にしっかりと自分の無知を自覚してお願いしている人だと思う。
せっかく分かっている人が親切に指導してくれたのに
「え~釣れなかったんですか~」などと言って親切を無駄にするようなことが案外多い。
(つりに例えての話です)
さて「つり掘り体験」・・・って本人の自信に繋がるものなのでしょうか?
デパートの中でカブトムシを取る体験もそうです。
つまり「つり掘り」に行くとは釣り人は『客』であります。
自然につりに行くとは釣り人は『敵』・・・とまではいわないまでもこっち(釣り人)が乗り込んでいくものであります。つまり魚のほうが客といいますか・・・
うまい例えになっているか分からなくなってきましたが、「客」としてする『体験』は果たして体験なのだろうか?ということです。
私の感じた違和感は、運動にしろ自然体験にしろ親なりができないものを「外注」するときに
「お金を払った対価としてサービスを受ける」という関係で行った体験ってどうなのか?
なにか世の中「つり掘り」をいっぱい体験してることになってはいまいかと・・・
「パックで便利」みたいなものを求めすぎてはいないかと・・・
番組の中では都市部でその傾向が強く、地方との格差が広がっているというが、これはどんな風になるのか・・・
こんなことなら、地方なりで逞しい人間を育てていけば負けない気もするけどな~
全然、違う話ですけど・・・
釣りって魚自体が必要なら魚屋に行った方がよっぽど安いわけで・・・
プロセスこそ釣りの醍醐味ですよね。
うちみたいな資格系大学にはつりをさせたほうがいいな(笑)
「それって意味ありますか?」ばかり気にしてど~する!
他人に面白くないと言われて気にしている人は釣りをしなさい(笑)
妄想力と創作力がつきます。
「ここにいる魚がいるハズ!」という思い込み力がつく。
そして釣れなかったときに自分を笑う能力もつきます。
釣りをしていない人は釣り人がジッとしている姿をみて
「あの人は何も考えていない」
と思っているであろうがとんでもない。
喜怒哀楽、懐疑、後悔、嫉妬・・・ 様々な感情が渦巻いている。
それを知るだけでも深みがでるハズ。
必ず魚がいることが保障されている『つり掘り』では育たない根性があります!
なんの話だったかわからなくなりました(笑)。
ヘタにつりを例にあげたからおかしくなりました・・・
釣れない釣りを愉しめる人と気が合います(笑)