写真はイメージです(本文とは関係ありません)
あんまり見ているわけではないのだが、この夏の甲子園はやたらとホームランが飛び出しているのだという。
こういうことがあると、道具関係論として
「ボールが飛ぶようになった?」「バットが飛ぶようになった?」なんて言ってみたり
選手技術論から言えば、「マシンの普及により云々」「打法の開発により云々」というものがある。
戦術論的にも「以前の野球より打たせる野球になっている」なんてのもあるだろう。
フィジカル的には
「選手が筋トレをしている成果である。体格も飛躍的に向上している」なんてのも、モットもな気もする。
先日、オープンキャンパスを担当したと言ったが、ワタシのこれまでの高校生への説明は
「今まで君たちはトレーナーなんてつけたことないでしょ?有名選手のトレーナーになりたい人は多いけど、君たちのようなまだ有名でない選手のトレーナーは需要が沢山あるんだよ」
なんて言っていたのだったが、それこそ、ここ数年で随分と事情が変わっているようで「いや、僕はトレーナーいましたけど・・」なんて高校生が多かった。
ちょっとワタシの論法も変えなければいけないと痛感したのでありました(汗)
ようは、高校野球のチームが積極的にトレーナーを採用している効果も出てきているのではないでしょうか・・・ってなことを言いたかったのであります。
さて、そんなマトモな視点ではなく、ちょいと捻くれてこの現象を考えてみる。
ワタシは、このバッティング優先の状態こそ
「野球人気が衰退している象徴!」とあえて言ってみる。
どういう屁理屈かというと、現在の甲子園に出ている選手はかなり高い確率でシニアやボーイズといった硬式野球チームでの経験者である。(学校の部活ではない)
そして、現在それらの硬式チームはさまざまなリーグと共に飽和状態である。潰れているところもボコボコある。
ようは、大学と一緒で選手の取りあいなのである。
取りあいとなりゃ、当然「こっちは楽しいよ~」という誘いになる。
もちろん中には、ワタシの同級生がやっている神奈川の超有名ボーイズクラスになれば「うちの方針に従えないなら入らなくて結構」なんて姿勢にもなれるが、そんなクラブは一握りであろう。
野球の分かりやすい楽しさといえば・・・やっぱり「バッティング」であろう。
『うちは、まず守りからです。』なんて言ってたらよっぽどの歴史と実績(勝ち負けのみではなく進路)が無ければ入ってくれない。
今は選手のほうがお客さんなのである。
バッティングの楽しさはゴルフの打ちっぱなし的な気持ちよさもモチロンあるが、
「打てなくても失点にはならない」というところであろう。
逆に守備は「得点にならないクセに失点にはなる」というものである。
失点は負けに繋がるので、守備は精神論がかなり入ってくる。
ホントか知らないけど、かつて甲子園でこれを捕れば勝ってたファウルフライを落としてしまい、そのあと逆転負けをくらってしまった高校のその選手がその後、
失踪したという話もある。
大事な場面で三振して失踪したという話は聞いたことがない。
・・・というわけで、
「守備のできないものは打つ資格なし!」
というのが戦後の長らく常識とされていた観念であった。
ましてや、気持ちよくフルスイングなんてのは野球道に反する行為であった(笑)
フルスイングとは
チームの看板選手のみが許される行為であり、
フルスイングを許された者は真のエリートの心意気
『ノブレスオブリージュ(位タカケリャ責任オモシ)』の
自覚を持って
チームの命運を背負ってスイングすべきものであった。
さて守備の練習であるが、はっきり言って最初は苦痛に耐えるタイプの練習が多い。
代表的な千本ノックではないが、名手ほど基本を大事にするということで、手で転がしたゴロをひたすら捕るというようなものから始まり、地味~なネットスローの繰り返しだったりする。
そしてノックとなればまさに連帯責任の地獄の始まりで、
『誰かのエラーはみんなの不幸』
というシステムはナカナカの精神鍛錬の場となった。
モチロン、鍛錬の場となって強くなるケースもあるだろうが、
「あいつが居なけりゃもっとスムーズなのに・・・」という感情からくるイロイロもあったであろう・・・
最近は、部員が辞めないというのが傾向だそうだが、高校野球の裏の代名詞であった「連帯責任」という言葉が排除されてきた恩恵もあると思う。
ちょっと話がそれたが、そんなこんなで、
こういう野球を前面に出すわけにはいかず、
「うちは最初からバッティングできますよ~」というスタイルが増えてくる。
もちろん、進塁打ということでセカンドゴロを必ず打て・・・
なんてタイプの打撃ではなく気持ちよく『バ~ン!』とフルスイングである。
これは、メジャーリーグの影響も多分にあるであろう。
カクシテ、
フルスイングとは一部のエリートだけが許された特権ではなく、みんなで楽しいフルスイングに成り下がってしまった。
さて、そりゃいつの時代もバッティングは楽しいのであろうが、その前にやらなきゃいけない「守備」だが、なぜ耐えられたかといえば「バッティングの楽しみ」があるからであった。
しかし、先にバッティングをやってしまったあとに守備なんて苦痛に耐えながらやる気になるであろうか・・・
野球は苦痛なもので修行・・・なんだと思ってたから、理不尽も耐えられたが、
「楽しむもの」になったらそりゃ変わりますわね。
ホントは、守備って
考えてやれるようになってくると
バッティングなんかよりも深みがあってとても面白い味わいがあるのです。
まぁ、お笑いでいえばバッティングの楽しさが分かりやすいコントやら漫才ならば
守備は落語って感じでしょうか。
自分のイメージを持って展開する面白さという意味です。
さらにいえば、守備を意識するというのは当然「走塁」も意識するので、攻撃にもつながってくるのですけども。
さて・・・強引にまとめると
こうして、フルスイングで振り回す野球をやって育った選手ってどうなるんだろう?
なんて勝手に想像してみると、多分「短命」なんじゃないかな?なんて思う。
いや、別にケガをするとかいう意味ではなくて、
もう『野球に飽きる』のではないかな・・・
なんて思うのですがどうでしょう。
守備の人って、選手生活だけではなく、野球に関わる期間とか長そうな気がしませんか?
こういうこと書きながら考えるからなのかもしれませんが、指導者でまだ野球に絡んでいる人ってかつて守備の人だった人が多くないですか?
悔しさを持ってるからなのかな(笑)
あっ、プロ野球の監督はこの範囲じゃないですよ、あれはタレント性が重視ですから。
スラッガータイプだった人でしつこく野球を追求している人っていますかね?
さて、思いつくままに書いているので支離滅裂になってしまっているかもしれませんがすいません・・・
出だしは甲子園の話題からでしたが、書きながらイメージしているのはワタシが関わっている高校生の様子からです。
ま~、淡泊というか「こういうもんじゃないの」という感が強いもんで。
・・・で割とアッサリ野球から引退します。
・・・ということは、そこから先の技術や戦術やら完成度を追求する野球なんてのにはあんまり興味ないってことですもんね。
・・・てことは、
「俺はプロ選手を指導しててだな~」なんてのは
「だからなんなんですか?」で終了です。
それはウスウス感じている今日このゴロなので、もう最近は「バァさん体操の先生」ということでやっております。
ワタシがやっていた野球と今の野球では明らかに違っていて、どっちがいいの悪いのと言う気もなくて「あ~俺も今の時代にやりたかったな~」と思う面も沢山あります。
野球界が進化した部分と、それのおかげでゴールも短くなったな~なんて気もしてます。
グダグダと書きました。
何人かと話したら割と盛り上がったのですが、文章にすると難しい(汗)