とあるプロ投手とメールでやりとりしていて・・・
「なんだかいい調子じゃないのよ」なんてふったら
「ユーチューブでイチローの話を聞いていたら胸を見せたら負けみたいな話をしていて、それをピッチングに当てはめたらどうなのか?なんてことを考えてたらよくなりました」
なんてなことを言っていた。
へ~そんなのあんのか~なんて思っていたら
その動画が見つかったのでここで公開
ほとんどピッチングの話はしておりません(笑)
(胸の話は4分10秒あたりですが、全部見ると楽しいです)
ある程度、考えながら年数を経てくると、傍から見たら違うところからヒントを得るようになってくるものです。
例えば、この対談を聞いていて
・・というより、20代の卒業生あたりは答えが欲しいから
「いるの?いらないの?やるの?やらないの?何やるの?」が欲しいのだと思います。気持ちはわかる。
ワタシもそうでした(笑)
このインタビューでも言っている通り、ウエイトトレーニングに関して
「僕もけっこうやった 6~7年は繰り返した」という。
やらなかったわけではない。
その結果、これは違うと感じるようになったという。
大事なことは、シーズンを通した感覚の中で「この現象はなんだ?」と疑問を持ち続けたことだと思う。
『ミスなしでの最短距離は深みが出ない』
『無駄は無駄じゃない、もちろんやっているときは無駄とは思っていない』
このインタビューは何か言っているようで言っていない、おそらくこれで何か具体的なアクションをできる人は少数だと思う。逆に『我が意を得たり』と思っている人もいる(笑)
ワカル人同士でゲラゲラと楽しく話をしているだけである。
例えば、今のイチローに訊けばこの答えだが、
ウエイトトレーニングを熱心にやっていた20代の時に聞けば
「ウエイトやってナンボです」というかもしれない、いや言ったであろう(笑)
その時だって200安打してたんですから。
ダルビッシュだっていう事がコロコロ変わっている。
「おい!いう事が変わってるじゃねえか」などとツッコめば
「そらそうだ、こっちも進化してる」などと言われて終了であろう(笑)
投げ方も相当に変わってます。(これって俺が修論でやったやつじゃねえか 笑)
要するに、その時々の自分の考えを
自分の責任でやってきた感覚こそが、変更も可能にするし
「今になってみればあれは失敗だった。」などと振り返ることができ、貴重な経験値になるのだと思う。
今となっては失敗だったといっても、その時はそれが正解だったと思ってやっている。
その時の精神状態での正解(と思っているもの)があるハズであり、だからこそ
「そういう気持ちになりやすいが、そこは我慢しなければならない」など、
かつての失敗経験が自分への励ましの材料になる。
さて、ワタシ・・・
この20年「去る者追わず」という格言に真っ向勝負だ!
そんなこと言うのは指導者としての敗北だ!「去る者追わずなんて気合でホンキの指導なんてできるか!」「俺が振り向かせる」
などと意気込みやってきたが、やってみて
「う~ん、こういうことか・・・確かに・・・」
と自分の肚で納得するに至っている。
けっこう清々しい気持ちである。
おかげでブログも更新することができるようになってきた。
なんとか仲良くしようと努力してみたけど嫌われちゃったらもう仕方ない。
いや嫌われないまでも、ついていけないとなったのもこれまたワタシがどうこうできる問題ではない。
いや~これアタマでは理解できても、やっぱり体験ですな。
無駄だけど無駄じゃないか。
ちなみに映像の最後に「え~1時間以上話をしてたのか~」とイチローも驚いているが、この人は絶対に話が好きだということは感じていた。
自分で自分を励ましているということは、ボキャブラリーが自然と多くなる。
最後に、
ワタシはかつて
それは「奥義とはなんぞや?」という議論をしていた時のことである。
(そんな議論で白熱したら3~4時間はあっという間です。 だってそもそも正解を聞きたい議論じゃないですもん 笑)
古文書研究の教授は言った・・
アイザワくん・・・
どの話も最後には必ず
『あとは各自で工夫せよ』
と書いてあるんだよ。」
この話は非常に痛快だった。
これもワタシに大きな影響を与えた言葉だった。
よせばいいのに、つい、ひとひねりしたくなるのはこれが大きい(笑)
この先生も変な先生だったな~(笑)