先日、職場の健康診断があって、聴力でひっかかった。
要するに聞こえが悪い。視力はいいのですが・・・
「コソコソとした会話をせずに男らしく堂々と大きな声で会話をすればいいだけだ!アッハッハ~」
などと悠長に構えていたが・・・
教員という仕事は、
「ヒソヒソ話が実に多い仕事である」ということに今更ながら気づいた・・・
今日、大学の入試が始まり、業務をこなした。
とうぜん、厳粛な雰囲気で行われる。
受験生だって当然真剣である。
そうなると、廊下での職員同士の業務上の会話も当然ヒソヒソと話をするようになる・・・
このヒソヒソ話が弱聴力にとっては一番きついのだが、
タチの悪いことにヒソヒソ具合が高い会話ほど重要度が高かったりする。
場を荒らさないために、目の前にいる学生には聞こえてはならず、といって、
急で重要な話であるからヒソヒソでも伝えねばならない状況なのである。
こういうのは中学校あたりでも「〇〇君が万引きで捕まった」なんて連絡は大声で出来るわけがないのと同じであろう。
これで、マスクでもしたうえに会話されたらもうお手上げである。
過去に指導していた中学生で聴力のない選手がいたが、(今はプロキックボクサー)その選手は口の動きで会話を読んでいた。
ちなみに、ワタシは右耳の聞こえが悪い。
そうなると、右からの呼びかけには応えずに、左からの呼びかけには返事をするという事態も発生しそうだ。
これを実際に当てはめると、右からの学生は無視して左からの学生にだけ反応することもありえる。
それが、左からが女の子だったりしたら「アイツは女の子だけ反応する」なんて言われかねない・・・
まだ、男のほうを無視するケースはよいが、両方とも女の子で、「あっちのほうが可愛いから」みたいな話になったらもうややこしいこと極まりない。
そういう事が元のトラブルってあるのではないだろうか・・・
こういうのって、先に伝えておきたいのだがそういう方法はないであろうか。
このセンスでいえば視力の問題もある。
ワタシが少年の頃はコンタクトレンズなどというのは非常に高価なもので、
広島の達川なんて、試合を止めてコンタクトを探していたものである。
(4分30秒あたり)
だから、視力の悪い人はあからさまに目の悪そうなメガネをかけていたので、
「あ~あの人は目が悪い、そして今はメガネをはずしているのだから見えていない」と理解してあげられたのである。
ところが、今は皆さんコンタクトをしているので、見えているのが当然のように思っている。
しかし、時には何かしらの事情で忘れることもあるのではないだろうか?
そうなると、目の前を通り過ぎても見えていないということになる。
当たりまえだが、コンタクトをしている顔もしていない顔も同じである。
だから、相手は「無視された」と思うであろう。
これもトラブルの種ではないだろうか?
考えたら、視力が0.1の人と2.0の人では住んでいる世界が違うのである。
「ここに書いてあるだろうが、よく読まんかい!」などと言っては可哀相なケースもありそうだ。
世の中、視力も聴力もバラバラな人が一緒になって暮らしていると思えば、
「同じ日本人でも違って当然、理解されなくても当然、誤解される、すれ違うのは当たり前、むしろウマいこと調整しながらやっているほう」
と思えば心も広くなるかな~
・・・と思ったという話でした。