さて、意外なところからブログを見ているという涙が出そうなコメントをいただき、
「なるほど、そういう方向からの見た目も気にせにゃイカンな」と思い直した今日でありました。
どうもありがとうございます。テンションあがりました。
かつての同級生からのコメントなどをいただきますと、あの頃を思い出しますが、
いわゆる青春的な爽やかなものはまるでなく
「俺はロクな思い出がない」とまたガックリするわけであります。
まぁ、こうして文章を読んでもらえるだけでもありがたいことであります。
というわけで野球に関する話を書いたほうが良さそうな流れなので、
野球に関してアホらしいけど重要なのではないかというネタを書きます。
この話は、ワタシに近い野球人2名に話をしたところ『う~ん!確かに』と唸らせたので多少の自信を持って提供いたします。(ハードルあげた)
それは打撃の話であります。
鳥谷選手
かつて、
「究極の選択クイズ」(カレー味のうんこと、うんこ味のカレーとかのやつです)
というのが流行った時がありましたがその打撃編を考えました。
問題!
あなたが選手として以下の打撃フォーム(打ち方)のどれを選びますか?
①とてもカッコ良く見栄えはよいが打率は1割5分である。(かなり低い)
②見た目は普通でとくに目立たないが打率は2割5分(並)
③玄人には理解されるが素人(女子など)からは
カッコ悪いが打率は3割ある
④誰がみてもカッコ悪いが打率は4割に達する
⑤もう屈辱的な恥ずかしい打ち方(フルチンになるくらい)なのであるが打率は6割に達する!
いかがでしょうか?
これは、意外に悩むのではないでしょうか?
森野選手
ここには、自分の野球哲学が問われるのではないでしょうか?
さて、「いや~状況によるな~」という方・・・どの状況だったらどの打ち方をします?
ワタシが会話をした相手のN君は
「まぁ、ここ一番のチャンスでは5番を使うかと・・・」
そうですか・・・じゃあ問います
「場面は甲子園の決勝、9回裏の攻撃で2死2・3塁でバッターボックスです。
点差は2-3で負けていますが、ヒットが出れば逆転サヨナラ」という状況です。
「そりゃ5番ですよ」とN君
「そうか? 5万の大観衆に全国放送の視聴率40%の状況だぞ、その前で屈辱的なの選べるか?」
「うっ・・・」と詰まるNくん「じゃ、じゃあ、4番で・・・」と多少の修正をするNくん。
おい、その程度の思いなのか!(笑)
アハハ みなさんいかが?
さて、色々な立場からこのシーンを想像してみます。
観客がこの選択を理解できる状況だったとします・・・
たとえば、チームの命運がかかっている時に打者が①を選んだ場合、
「あの野郎、この状況で自分のカッコつけることを選びやがった!自己中だ!」
と怒るかもしれません。こういう人は⑤を選ぶべきだと思っているのでしょう。
じゃあ⑤を選んだ人の親だったらどう思うのでしょうか・・・
「あ~勝負のためとはいえ、こんな大舞台でこんな屈辱的なことをさせられて・・」
と思うのか・・・
監督だったらどうでしょう、迷わず⑤をやってくれる選手を良しとするのでしょうか・・・教育者としてどうなんだ?なんて議論もありそうです。
かつての松井の5敬遠なんてはある意味でこういうことなのではないでしょうか。
入部の際にこんな質問で入部テストというか、覚悟の確認されたらどうなんでしょ。
さて、こうなってくると、「なんで俺は野球をしてたんだっけ?」なんて考えるのではないでしょうか。
やはり、最初は「カッコいいから」なのではないでしょうか?
スポーツをやる意味は自己実現であり自己表現なのですから、
「カッコわるい」のはやっぱりイヤではないでしょうか?
あれは、単に打率だけではなく、スタイリッシュなフォームだったからだと思います。
逆に、
懐かしい話をしますが、私が少年時代の巨人の外人といえばクロマティでございました。
(1分40秒あたりですが、懐かしがりたい人はすべて見るのをおススメ)
大洋の中山好きだったな~ ポスター貼ってました
たしか、打率も4割近くを打っていたと思いますが、
当時の我々は、クラスの余興の一発ギャグとしてマネをすることはあっても試合でやることはありませんでした。
つまり、「あのカッコは例え打ててもやらない」と思ったのであります。
もちろん、「あれがカッコいいのだ!」と思えればハッピーなのは間違いありません。
さて、思春期といいますか、若いうちはスポーツウェアのブランドというのは非常に重要な要素です。作業着姿のおじさんとかをちょっとダサイと思ってしまうのではないのでしょうか?
段々と、内容を見れるようになってくると服装のブランドよりも作品であるとか、作業の実力のほうに目がいくようになるというのが大人になってくるということかもしれません。
何を言いたいかというと、スポーツ選手は大体が若いうちにやるものですから、
その価値判断の重要な要素の中には「カッコいいか」はかなり大きいのではないかと思うので
す。
例えば、「バットを短く持って打て」というのは合理的な理由としては、バットの操作がしやすくなるとかあるのではありますが、「ちょっとカッコ悪いな~」という思いから実行しずらくなることもあるのではないでしょうか。
右打ちとか「引っ張るな」というのも、やっぱり「引っ張る画がカッコいい」に対しての戒めであります。
かつてワタシは父から「もっとバットを短く持て、かつて大洋にミヤ~ンというのがいてな~」と諭されたのですが、どうもカッコ悪い気がして実行できませんでした。
ただ、ワタシの高校時代の1学年下に一年の春にレギュラーを取ったのがいましたが、そいつは一番短く持ってヒットを量産しておりました。性格は独特でありました。
指導のウマい人は、「そっちがカッコいいぞ」という風にうまいこと誘導できる人なのではないでしょうか?
「お前なんか力が無いのだから短くもってりゃいいんだ!」なんて言ってしまう指導者さんは、ちょっと勿体ないことをしているかもしれません。
・・・で、ワタシがフォームを指導する時にアイパッドなどの動画を撮影できて、
すぐにフィードバック(見せる)ことができる準備をしているのはそういう意味です。
選手というのは、当たり前ですが主観(自分がやる)の感覚でやっております。
一方で、指導している人は選手の感覚(内観)に入れるのが理想なのですが、
実際には客観(傍からみた画)で、あ~だ、こ~だ言っているわけです。
・・・で、ありがちなのが、
指導者が外からみて「こうした方がいい」と言っているやり方を実際にやってみると選手としてみれば「これ、カッコ悪いんじゃないか?」と思っていることが多いわけです。
欠点が大きいほどそういう風に感じます。
ですから、映像なり写真を見せながら
「なっ?そんなにおかしくないでしょ?むしろこっちの方が一流選手と同じ動きではないか?」
と見せると、とても納得してくれます。
それは「そっちの方がカッコいいから」と理解できたからです。
ウダウダと何を言いたいかというと、
「カッコいい」はスポーツにとっては重要な要素でありまして、そもそもカッコいいと感じたからそのスポーツをやっていることが多いと思います。
その感情を否定するよりも、むしろ肯定しながらうまいこと誘導していくのが大事かと・・・
もちろん、「何をカッコいい」とするかが、その人自身を表すものでありまして、どれがいいとかではなく、こういうこと考えること自体が哲学なのではないかと。
「カッコつけてないのがカッコいい」というカッコよさもあったりと・・・・
仕事はまた別の価値観でやっていることもありますが、参考になるところもあるかと思います。
ひょっとしたら、強豪とそうでもないところの差ってこの選択の覚悟かもしれません。
まぁ、大概は指導者がカッコつけておかしなことになることが多い気がします(笑)
ちなみに、①とか⑤とかを選ぶタイプは、社会的には人とうまくやるのは難しいかもしれませんので、それを勧めているわけではありませんのでお気をつけください。
むしろ選んじゃイカンと思ってます。(笑)
打ち方も顔もカッコいいんだがな~ (中日 高橋選手 タシロ監督教え子)
こんな話でもりあがってみるのもいいのではないでしょうか・・・
長々と失礼しました。
・・・で何番を選びます?(笑)