芸術家の岡本太郎の言葉を集めた本の中で、
以下は私の要約であるが
「スポーツ観戦と称して観客だけやってどうする、肉体の喪失じゃねえか、人のホームランだのミスだのにあ~だこ~だ言ってないで自分のなま身をぶちこめ。
百メートルを10秒で走る人は素晴らしい、
しかし、例え一分かかったって力の限り駆ける豊かさがある。
自分より先に行くものには『あいつは足が速いな~』と思えばいいのだ。
それがなぜ足が遅いモノは走らないと決めてしまっているのだろう。
代用の生きがいにうつつを抜かして自分をごまかしてしまうのはむなしい」
というのがあり、なんだか競輪を観戦しているのが虚しくなったのでありました(汗)
なんか、まさに代用にカラダを動かしてもらって能書きを言っております(汗)
そうだな・・・なんか肉体の喪失だな・・・
それでアタマで考えてイライラしているようじゃダメだなと・・・・
職場の先生やら後輩の先生についついイヤミを言ってしまい、
そんな自分もイヤになりと・・・「相手はそこじゃね~だろ」と・・・
なんとかせにゃ・・・と力んでみたり、虚しくなって止めてみたりと・・・
あ~ ブレブレ・・・(ペン字の先生、N西先生、O田先生ごめんなさい)
あぶなく学生にも当たりそうになるが、
そこはグッとこらえているつもりだけども漏れていそうだ・・・
う~ん申し訳ない。
なんでこっちが走り回って肝心のそっちがのんびり構えているのよ
・・・・などと思ってみたりするが
落ち着いて考えれば、随分と協力してもらっているんだよな~
あ~感謝が足りない。
私は皆さんに大変によくしてもらっている、
みんな自分なりにがんばっているんだ・・・
みんなみんな生きているんだ友達な~んだ~♪
などと口ずさんでみたり、
「感謝するぞ~カンシャするぞ~かんしゃ~カンシャ~」
と、どっかの団体がやってたみたいに唱えてみるほど暴走する我が心(泣)
なんでアンタがイライラすんのよ、恵まれてんでしょうが人気もあってアナタは・・
などと思われるだろうが、そういうことではない・・・
じゃあどういうことなんだ?と言われりゃすでに伝わる人には伝わっているが、
伝わらないから伝えたい人に伝える技術が私にない。
なにもアンタが学科の敗北を背負う必要ないでしょうよ・・・
という意見もモットもであるが、
といって「俺の資格じゃねえしな」などと他人事を決め込むことができない。
せっかく世話になっている学科は、なんとか存続してもらいたいと思ってムキになるのってそんなにおかしいかな?
そんなこんなでイライラしていると、
つい他人に対して攻撃的な発想を持ってしまうのであるが
同じ岡本太郎の言葉の中で
「人生は他人を負かすなんて、ケチくさいものじゃない!
大切なのは自分自身に打ち勝って、自分の生きがいをつらぬくこと!
それが一番美しいことなんだよ」
「そっか・・・そうだな・・・」って、
岡本太郎って世間から相当に浮いていたんだと思うのだけども・・・
そらそんなのと共感してるようじゃ職場あたりじゃ浮きますよね~
まぁ浮いているからコーチングクリニックにも載ったわけで(笑)
あれに載ったからひっこみつかなくなったな~
最高に笑った(元気もらった)のが、これ
『屈辱がなくて誰が芸術なんかするものか』
う~ん、いい。
私だって吠えるぞ
「屈辱にまみれて神奈川から一人で出てきて
大人しくやってられるかバカヤロー!」
結局、これが消えないからついやっちゃうんだよな・・・
しかたねえか・・・
ヨシ!
まずはカラダを動かすぞ・・・と思ったら神経痛が・・・
トホホ、結局これがイライラの原因なんだよな・・・人のせいじゃないんだよな
すんません、自己満足な記事で