kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

勝手に期待して、勝手に絶望する

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とある休日の岸和田競輪場

 

お笑いタレントのヒロシさんの本の中の一節にこんなのがあった。

 

「他人に期待する生き方は、他人に絶望する生き方」

 

「他人に勝手に期待して、他人に勝手に絶望するのはやめよう」

 

これはキイタ・・・・

 

私そのものではないか・・・・

 

これまで関わった人たちとの関係も・・・

 

 

 

そもそものトレーニング指導やら野球指導なんかその最たるもんで・・・

 

なんとかプロ選手になって俺の名前を出してくれ~ とか

なんとか甲子園にいって俺の名前を出してくれ~ とか

なんとか活躍して俺の名前を出してくれ~   などなど

 

なんなら、大阪に来ての学生への接し方なんてそのものというか・・・

 

そりゃ離れていくわ・・・

 

期待すっから絶望する・・・・

 

そりゃたしかにそうなんだけども・・・・

 

「そんなに期待すっから裏切られてガックリくるんでしょうが」

 

よくいわれる。

 

だいたい私は打算が酷い。

・・・で、

打算も徹すればそれなりに結果が出るだろうけど、

ヘタに『イイ子ぶる要素』が入ったりするから全く計算どおりにいかない。

足下みられて終了のケースばかりだ。

 

中途半端すぎる。

 

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勝手に期待して、勝手に絶望する 

それが競輪

 

でもな~

 

人に期待しない教員ってのも味気ないような気もするし・・・

 

そもそも自分も期待をさんざん裏切ってきているわけで・・・

その自責の念を逸らしているだけなのだけども。

 

 

こうなったら、

「俺は勝手に期待して、勝手に絶望するのが好きなんだ」

と思えればいいのか・・・

 

 

まぁ一番の問題は、自分に期待できるかなんだよな~

 

 

 

あれ?

 

 

 

自分に絶望してるってことはまだなにか期待してんのかな~?

 

 

小さい話です。

通訳さん登場

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サンズのヒーローインタビュー

いや~、それにしてもデカいホームランだった。

 

なにかしたのかな?(笑)

 

さては筋トレをやったな・・・うちのダンベルで(なんて 笑)

 

おっと、真ん中で通訳をしているのは、男前の栗山さんではありませんか!

 

そちらに目がいくようになりました。

 

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右から2番目が栗山さん(左から藤本さん ノハラくん 私 栗山さん 中西さん )

 

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(熱心に片付け作業をしてくれる学生さん)

 

先日、「阪神タイガース、助っ人応援プロジェクト」が無事に終了し、チームからとても喜んでもらえた。

 

あとは、外国人選手の活躍を祈るのみ・・・と思っていたら、サンズ選手の特大のホームランが飛び出した。(しかも2本)

 

ヨシ、これはうちの応援が役に立ったぞ!

と学生に言ってやれるぞと、けっこううれしい。

 

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機材のチェック、消毒作業をする学生

 

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重たい荷物も率先して運ぶ学生

 

みんな「何かの役に立ちたい」という学生ばかりなんですよね。

特にうちの大学に来るような学生はそういう気質の学生が多い。

 

阪神だからどうこうも確かにあるけども、

それ以上に役に立ってるというのがモチベーションになるんですよね。

 

いま、この状況でホントに少なくなっているから・・・・

 

 

一生懸命に動く学生をみていたらなんだか泣けてきました。

 

ワクチン接種のおかげでようやく少し手伝ってもらえるようになりました。

 

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みんないい顔しておりました。

 

阪神マニアの女子学生が興奮しておりました。(笑)

 

この日はサンズ選手だったので栗山さんでしたが、スペイン語の選手の時は橘さん(左はし前)なので、またそれを楽しみにしたいと思います。

 

それにしても毎回思いますが、

通訳さんってホントにいい人たちで、

学生たちとも気持ちよくコミュニケーションをとってくれて本当に嬉しかったです。

 

こっち(教員)の気持ちを察して

学生たちに優しい言葉をかけてくれたり、励ますような言葉をかけてくれたりと、「いや~ホントにありがとうございます」と・・・

 

こういうのって私も気を付けていることですが、案外難しいことだと思うのです。

 

若い時の出会いの時の印象って、ホントに大きいと思います。

そこでツンツンしてたり気難しかったりするとホントにショックなんですよね。

 

逆に、

そこでちょっと話がはずんだりすることが、どれだけ学生にとって自信になるか。

 

しかも、前回手伝ってくれた学生の名前を憶えていてくれて、

「オッ!ノハラありがとう」なんて言われたらそりゃ元気でますよ。

 

「粋な人たちだな~」

と、楽しい思い出になりました。

 

学生たちも、なにかそういう雰囲気を感じてくれたんじゃないかと思います。

 

お互いの気持ちを察して架け橋になっている人の気質ってこういうことなんじゃないかな~と、本当に勉強になりました。

 

 

 

 

 

 

サインは「待て」だけど

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とある道徳教材に関する記事

 

 

道徳の教科書になっているという「星野君の二塁打」というお話について

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解説

 

少年野球のお話

 

チャンスで打席に入った「星野君」

監督のサインは「送りバント

しかし、打てると思った星野君はサインを無視して打って出た。

 

すると結果は「2塁打!」送りバントよりも良い結果。

 

そしてチームは勝利。

 

しかしそのあと監督から、

「犠牲の精神がわからない人は社会をよくすることはできない」と叱られ、メンバーを外されてしまうというストーリーである。

 

この物語は集団生活でのルールを学ぶ道徳教材として長く使われていたそうです。

私の教科書にはなかったですが、別のところで読みました。

 

なるほど、言葉にしにくい教訓を考えてもらうためにはよいストーリーだし、上司に絶対服従、組織忠実型の思想の私には、全く違和感がない(笑)

 

しかし、この記事によればあの「日大アメフト悪質タックル問題」を機に、この教材に注目が集まったという。

 

指示に背く選手が処分されるのは「軍国主義だ」と批判されることに。

「単に規則だから」と、

自ら考えることなく集団に同調し、権威に服従するようになってしまう危険性があるという。

 

なるほど、それはそれでもっともなような気もする。

 

こういう教材に対して批判的になれる世の中というのも、それはそれで大切な気もするが・・・

 

今時、「上司の命令は絶対だ」「組織のためになる人間になれ」みたいなものは完全に時代遅れなのはさすがの私もよくわかる。

 

話は変わって・・・

 

この現在の状況、「不要不急の外出は避けてくれ」というのをこの話にはめると、

 

国からのサインは「待て」(打つな)ってなもんでしょうか?(笑)

 

こういう時、この物語が当然の価値観として受け入れられている世の中ならば、

「たとえ出かけたくても、集団のために我慢してバントが当然」ということですが、「そんなもんもう古い」という世の中になってしまった以上、「各自の判断でどうぞ」ってなもんで・・・

 

道徳的な理由で止める時代ではなさそう。

 

「なんであっちはフリーで打たせてもらえて、俺はバントなんだよ!」

 

というような不満が世の中に充満しているようで(笑)

 

考えたらこれを言わせない野球って大したもんだな(笑)

 

ちなみに私の高校時代はフルスイングを許されている選手は3人くらいでした(笑)

 

 

溜まりに溜まってしまった未読の新聞のイッキ読みをしながら、

この記事を見て、「あ~なんだか今の時代に考えるのも面白い話だな~」などと思ったのでした。

 

皆さんいかが?

 

 

さて・・・もうちょい考える。

 

 

この物語、「サインを無視して打った結果がヒット」

 

だったから、

 

「あのな、ヒットを打てばいいってもんじゃないんだよ」

という道徳的な話に展開しているが・・・

 

 

これが、

サインを無視した上に三振ゲッツー(結果最悪)」

だった場合に、

本人だけではなく、周囲もどうすべきか?

 

というストーリーを考えなければいけないのが今の時代なんじゃないかと思うのだけれども、いかがだろうか?

 

もちろん単純に

「テメエ!サインを無視した上に三振するとはどういうこった!クビだ!

 

という話だった時に、皆さんはどうだろうか?

 

けっこうな確率で

「まぁ、そりゃそうだろうな仕方ない、勝手にやったうえに失敗なんだから」となるのではないだろうか?

 

でも、この物語を「上の指示に絶対服従なんておかしい」という人は、

ダメだった時にも許容してあげる度量が必要なのではないだろうか?なんて思う。

 

それができないのならば、「指示には従うべきだ」という姿勢をとるべきではないかと思う。

 

 

上の指示に従うなんておかしい、と言っておいて失敗には不寛容になっている雰囲気ってないだろうか?

 

多くの人は、指示に従うのは犠牲になっているというより、

「自分の意志でやって失敗したときが怖いから」だと思う。

 

上の指示通りやっていれば結果が悪くても、まぁクビにはならない。

 

これが悪いというのではなく、これも一つのお互いの工夫なんだと思う

 

時代の流れを考えると面白い。

サイン(指示・常識)を無視してやったことが道を切り開いている部分も確かにありますもんね。

 

どうなりますやら。

 

 

テレビで医療人の人の奮闘ぶりを見ると本当に頭が下がる。

 

サインを無視して打ってダブルプレーくらってきた人を、面倒みているようなもんなのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

応援した

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脇本雄太選手(2019年 岸和田競輪場にて)

 

オリンピックをほとんど観ることなく終わりそうだったのだけど、最終日だけTVを観ることができた。

 

ホントにタマタマ自転車競技の日で、我らが競輪 脇本雄太選手の登場 さらに新田祐大選手の登場であった。

 

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新田祐大選手(黒い人)

いや~、脇本選手 ケイリンで7位でありました。

 

予選では先行して逃げ切っておりましたが、世界には凄いのがウジャウジャいるんですな~(汗)

www.gorin.jp

 

ケイリン決勝のイギリスのケニー選手が、一気にカマシ逃げというか、そのまんま逃げ切っちゃうんだから、これが勝ちたい人同士の思惑が交錯する競技の面白いところですね。

もちろん、恐ろしい強さですけども。

金メダルがかかる場面でそれができるのか~!と。

 

それにしても、日本発祥のケイリンが、これだけ海外の選手に受け入れられていることがとても嬉しい。確かにおもしろいですから。

 

なんとなく応援している気持ちとして、

「普段、賭け事として低く見られているから、ここで目にものを見せてやってくれ~」などと、虐げられている側になったような気分で我らが代表を応援している気分になっている自分が面白い。

 

しかし、新田残念、「世界の中野さん」の解説いわく、勝負どころで内に差し込んで敗退・・・・

 

お~い新田よ~、いつもの競輪の時と一緒じゃないか頼むよ~(汗)

 

などと思いながらふと思う。

 

「こんなに日常の活動から見ていた選手をオリンピックで応援することもなかったなと(笑)」

 

先頭誘導員が坂本勉さんだったりするのを理解できる自分がなんだか嬉しい(笑)

 

その流れで応援していた自転車女子のオムニアムで梶原悠未選手を応援。

 

これまた、陸上の十種競技みたいなものといえばいいのでしょうか、4種目の自転車競技の総合得点で競うというやつ。

2020.yahoo.co.jp

 

それぞれの種目で、それぞれの駆け引きと味わいがあり、よくま~色々と面白い競い方を考えるものだな~と楽しく観戦していました。

 

自転車競技「どこまでチカラを温存し、どこでどれくらいチカラを使うか?」という妙味というのは知るほどに面白いですね。

『温存』するのも度胸がいりますね。

 これって勝負事の重要なポイントなんじゃないかな。

これの凄みを知ると色々と面白いのではないでしょうか。

 

考えたら「温存」って面白い言葉だな。

 

チカラを溜めているつもりが冷えちゃったら温存にならない・・・

なんて、ちょっとうまいこと言おうとしすぎですね(笑)

 

 

なんだか人生につながるような・・・などというと大げさか(笑)

 

周回ごとにビリの人が除外されていき、どこまで残れるか?を競うエリミネーションは私も野球の指導の場面で練習最後のメニューの走り込みでやってみたことがありますが、これはこれでけっこう面白かったりします。

 

梶原選手が、最後のポイントレースで落車してしまい、ユニフォームが破れている状態で、再び走りだした姿に涙が出てしまいました。

 

この日しか見ていないオリンピックでしたが、男子マラソンも見たし、世界には頑張っている人が沢山いるんだな~と感じさせてもらえる一日になりました。

 

色々とすったもんだのオリンピックではありましたが、逆に色々と学びの多い大会だったんじゃないかと思いました。

スポーツの価値観もひっくり返った部分が沢山あるんじゃないかなと。

ちょっと今までがおかしかったんじゃないのと・・・

 

スポーツの価値ってそこじゃなかったんじゃないか?

なんてことに気付く人が増えて、なんだか良くなるような気がしてます。

 

 

できる人とは

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夕暮れの職場(関西医療大学)にて

 

朝の出勤時に、かつて授業を担当した女子学生から、

「先生っていつも荷物が多いんですね~」

 

と、感心したかのように言われた(汗)

 

確かに、ショルダーバックを担いでいるうえに、両手に手さげバックが3つもあればそりゃ多い。

 

私は答える。

 

「おう、荷物が多いってのはな、仕事ができない人ってことなんだよ」

 

女子学生はズッコケて笑っていた。

仕事ができる人っていうのかと思いました」

 

私は答える

「今日、何の仕事をするかわかってない、計画性がないから荷物が増えるんだよな、そんで結局使わなかったりするわけだ」

 

・・・と、

 

仕事ができそうな人みたいエラそうに語ってみる。(荷物多いくせに 笑)

 

かつて私が若いころ、仕事論を色々と読み漁った時期がある。

 

・・・で、そのころもてはやされたビジネスマンだったりデザイナーが、荷物が非常に少なかったり、部屋に無駄なものが一切なく、たいていはMacを使っているという。

 

部屋に無駄なものは置かない。部屋が整理できていない人は頭も整理できていない。

 

すなわち「仕事もできない」となるという・・・

 

ただ、私の感覚として、部屋に一切「無駄なものが無い人」と、「無駄なものだらけ」

の人と、どちらが付き合いやすいかといったら、「無駄の許容量が多い人」に甘えてしまいそうだ。

 

大体、無駄のない人にお土産なんて持っていきにくくて仕方ない。

「こんな無駄なものを持ってきやがって」と言われる(思われる)のが目に見えている。話題も「無駄な話をするな」となりそう。

 

まぁ「お土産なんていらない」というポーズがカッコいいという風潮もあるような気もするけど、お土産の醍醐味は、「そんな楽しい旅先で、俺の顔を思い浮かべてくれたとは嬉しい」ということであり、その品が合理的な理由で必要かどうかを問うというのはちょっとナンセンスというか、さもしいというか。

 

 

それを「しっかりしていて仕事ができる」というのなら、それはずいぶんと世の中が安定していることを前提とした話だったんじゃないかな~と、今は思う。

 

一口に仕事と言っても、

「決められたことをちゃんとやるタイプの仕事」

「状況に応じて対応していくタイプの仕事」

「新しいものを考える、問題解決するタイプの仕事」

 

などなど、切り口によってはもっといくらでも出そうだけど、

それぞれの「できる人」があり「できない人」がありそうだ。

 

「決められたことをキチンとやる」タイプの業務の時に俄然チカラを発揮する人がいて、そういう状況下で私は「とてもできない人」になる(汗)

 

決められたことをこなすタイプの仕事は、「比較しやすい(されやすい)」という特徴がある。なんたって同じことを目指しているわけだから、いかにキッチリやっているか?効率的にやっているか?従順にやっているか?なんてのが基準になるのかな?

 

評価する人もあんまり頭を使わなくていいというメリットがある。

 

あと決められたことをやる仕事は、終わりがある。(オンとオフがしっかりしてる)

これはけっこう嬉しい。気持ちよく休める。休日が楽しみになる。

 

一方で、状況に対応する仕事、新しいことをやる(やろうとする)仕事というのは、これは非常に評価しにくい。評価する方に労力を要求する。

 

「自分が自分として自分をしている。」という強がりも言えなくはないが、失敗も自分の責任となるので休まりにくい。

 

オリジナルをやってきた人は、オリジナルを評価する技術を持っているのかもしれない。

 

「アイツはできるヤツだ」とか「できないヤツだ」とか、そういうセリフを言う方も、言われる方もこんなことを心に留めておいたら、もうちょっとゆとりが持てるのかもしれない。

 

人の評価は、やっぱりその人の得意とする思考スタイルからの評価であるので、わかってもらえるかどうかもその相性次第になる。

 

だから今、冷遇されていても評価する人が変われば逆転することもある。もちろん反対もある。

スポーツで監督が変わったら、選手が変わるのはわかりやすい典型だろう。

 

とかなんとか言いながら、自分を励ます。

 

まぁブツブツと言っておりますが、これから仕事をする学生さんやら、読んでいるかもしれない卒業生さんへの私の体験談としては、

 

 

どちらがいいとかではなく、それぞれの「力を発揮しやすい状況」というのがあるということで

『たまたま自分が有利な時』には

たまたま不利な人』に

丁寧に親切にしつつチカラを発揮しておくと

逆の時に助けてもらえるというのが、仕事の醍醐味かと・・・・

 

間違っても、タマタマ有利な時に、タマタマ不利な人を馬鹿にしたりしていると、必ず不幸になるわけじゃないけども、ピンチな時に自分の心が追い込まれやすい気がする。

 

 

それはこっちの仕事じゃないんだから、そっちで考えろ

 

などと冷たくしたりしないほうがいいですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉は同じだけど

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バランスボール

写真と内容は全く関係ありません。

 

最近、昔好きだった漫才の動画をよく観る。

 

中でも「夢路いとし・喜見こいし」さんの漫才を何度も聞いている。

 

小学生の時だったか、まだご存命の時にテレビで観てとても好きだった記憶があった。

 

いとしさんがボケて、こいしさんが呆れて遠くを見るときの顔が好きだったりした。

www.youtube.com

さて、そんなネタの中で、(この動画ではない)

級長になったからには、『人のいやがることをやらなければならない、だから女の子の髪の毛を引っ張ったりした』」

 

というボケがあり、

「意味が違うだろ!」

 

とツッコむというくだりがあった。

 

「人が嫌がることをやる」もしくは「やらない(やるな)」

 

このフレーズ、言われてみれば、子どもに教育というか躾(しつけ)のセリフとしては、「やってはいけないこと」として「人の嫌がることはしてはいけない」というのがある。つまり「やるな」と。

 

一方で、スポーツ選手に対して「人が嫌がるようなことをしなければ一流選手にはなれない」という云い方をすることがよくある。

 

これは例えば、地味で単調で人が嫌がるような練習が大切なのだという意味になり、つまり「やれ」として使われる。

道徳教育として「掃除」なんかもそうですね。

 

こういうのを当たり前のように使い分けているけども、改めて考えてみるとどうやって使い分けているというか、理解する方も、「あ~、これはやれだな」とか「あ~、これはやるなだな」と感じているのであろうか。

 

こういうのって、けっこう凄いことなんじゃないかな~と思ってみたりする。

 

 

「だからどうした」と言われちゃうとあれなんだけど、人のコミュニケーションって面白いな~と思ったということでした。

 

要するにいきなりポンとセリフがあるのじゃなくて、

そこまでの流れとか、相手との関係性とか、

そういうものも含めて言葉の意味になるというか。

 

だから、これを言っておけばいいというセリフがあるんじゃなくて、そこまでの流れを大事にしないと意味って伝わらないんだな~という風に解釈してみたのですけど、どうでしょうか。

 

なんだかカッコいい言葉を言っているのだけど空虚に聞こえるスピーチと、特別な言葉はないのに沁みてくるスピーチってどこが違うのかなと考えたりすることが多いのですが、そんな中でふと思ったことでした。

 

もうチョイとカッコいい文章にならないものかと反省しております。

 

 

「いとこい漫才」おすすめです

 

 

 

なかなかきつかったな~

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ワクチン接種の時にもらう紙

 

職域接種(大学)ということで、ありがたくワクチンを接種させていただいた。

 

初回は特に大きな副反応はなく安心していた。

 

「2回目に副反応が出やすいらしいよ」

 

という情報を聞いてはいたが、ちょっと舐めていたなと・・・

「個人差がある」

 

で、私はどっちの個人差なのよと・・・思いながらの翌日(幸い休日)

 

きたきたキタキタ~(汗)

 

アタマがいて~のなんのって・・・・

私は「当たり」の方だったかチクショ~!

こりゃ相当に色々と反応してやがる!

 

などと思いながら耐え忍ぶ。

 

阪神トレーナーのニイさんに聞いたら

「僕なんて5日前に打って、40℃の熱が2日続いた上にいまだに頭痛があります」とのこと・・・

 

「おっ、おう・・・それならまぁいいか」と自分よりキツイ例を知って安心する私。

 

 

これを書いているのは2日後の夜。

ぴったり治まっている(ちょっとした偏頭痛くらい)

 

これで何かがパワーアップしたのであろうか・・・(してなきゃ困るけど)

 

あの頭痛を乗り越えて、いま思う。

 

 

 

頭痛がないだけでもありがたい。

 

 

というより、薬(でいいのかな)って、すごいな~

 

 

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職員で手分けをして接種会場をやりくりしました。写真は事務員のFさん

 

私は主に接種後に少しの時間(15分~30分)安静にする待機室の当番をしました。

 

さてさて・・・

 

これで、ちょっとでも、世の中マシになりゃいいけど・・・

 

ワクチンを接種したらしたで、

接種した人との扱いの違いに揉めるんだろうな~

 

ワクチンを接種した人は可能、接種してない人は不可。

 

みたいなモノがあった方がいいのか、悪いのか。

 

例えば、私の職場のトレーニングルーム。

ここの運営を私は任されているのだけども・・・

 

このコロナ禍になって、授業以外での学生の使用を全面禁止している。

 

しかし、「使用したい」という学生の希望の声は少なくない。

 

そういう事を含めてのこの職域接種なのだけども、接種しなかった学生も多くいる。

 

正直いうと、「接種したくない学生」の気持ちも分らなくもない。

 

とはいえ、トレーニング場を無条件に解放するわけにはいかないだろうから、

「使用許可条件」なるものも必要になるであろう。

 

そんなもん当然、『ワクチン接種を済ませた人』にならざるをえない。

 

となれば、『同じ学費を払っているのに使えないのか~!』という不満はあるであろうが、接種した学生からすりゃ

『嫌だけど接種したのに、接種していない人も使えるとはどういうことだ~!』という不満も当然に出るだろう。

 

まぁ、一番理想的なのは、トレーニング場を使いたい学生がめでたくみんな接種していてくれたならば、何の問題もないのだけど・・・・そんなわけなさそう(汗)

 

というわけで、

トラブルが起きるのでこれまで通り、全面禁止・・・

 

・・・って、それじゃ、『なんの進歩もね~』というオチになるのか。

 

 

 

こんな小さな大学の中でも分断が起こりそうなんだから、今後の世の中でワクチン分断もあるんだろうな~

 

『ワクチンを接種しなかった人は使わせません』

なんてなことを言わなきゃいけないなんて状況はいやだな~とは思うのだけども・・・

 

こういう時って、善人ヅラした教員ってダメだよな~(私のこと)

 

こりゃ、こっからもややこしいな~