とある道徳教材に関する記事
道徳の教科書になっているという「星野君の二塁打」というお話について
解説
少年野球のお話
チャンスで打席に入った「星野君」
監督のサインは「送りバント」
しかし、打てると思った星野君はサインを無視して打って出た。
すると結果は「2塁打!」送りバントよりも良い結果。
そしてチームは勝利。
しかしそのあと監督から、
「犠牲の精神がわからない人は社会をよくすることはできない」と叱られ、メンバーを外されてしまうというストーリーである。
この物語は集団生活でのルールを学ぶ道徳教材として長く使われていたそうです。
私の教科書にはなかったですが、別のところで読みました。
なるほど、言葉にしにくい教訓を考えてもらうためにはよいストーリーだし、上司に絶対服従、組織忠実型の思想の私には、全く違和感がない(笑)
しかし、この記事によればあの「日大アメフト悪質タックル問題」を機に、この教材に注目が集まったという。
指示に背く選手が処分されるのは「軍国主義だ」と批判されることに。
「単に規則だから」と、
自ら考えることなく集団に同調し、権威に服従するようになってしまう危険性があるという。
なるほど、それはそれでもっともなような気もする。
こういう教材に対して批判的になれる世の中というのも、それはそれで大切な気もするが・・・
今時、「上司の命令は絶対だ」「組織のためになる人間になれ」みたいなものは完全に時代遅れなのはさすがの私もよくわかる。
話は変わって・・・
この現在の状況、「不要不急の外出は避けてくれ」というのをこの話にはめると、
国からのサインは「待て」(打つな)ってなもんでしょうか?(笑)
こういう時、この物語が当然の価値観として受け入れられている世の中ならば、
「たとえ出かけたくても、集団のために我慢してバントが当然」ということですが、「そんなもんもう古い」という世の中になってしまった以上、「各自の判断でどうぞ」ってなもんで・・・
道徳的な理由で止める時代ではなさそう。
「なんであっちはフリーで打たせてもらえて、俺はバントなんだよ!」
というような不満が世の中に充満しているようで(笑)
考えたらこれを言わせない野球って大したもんだな(笑)
ちなみに私の高校時代はフルスイングを許されている選手は3人くらいでした(笑)
溜まりに溜まってしまった未読の新聞のイッキ読みをしながら、
この記事を見て、「あ~なんだか今の時代に考えるのも面白い話だな~」などと思ったのでした。
皆さんいかが?
さて・・・もうちょい考える。
この物語、「サインを無視して打った結果がヒット」
だったから、
「あのな、ヒットを打てばいいってもんじゃないんだよ」
という道徳的な話に展開しているが・・・
これが、
「サインを無視した上に三振ゲッツー(結果最悪)」
だった場合に、
本人だけではなく、周囲もどうすべきか?
というストーリーを考えなければいけないのが今の時代なんじゃないかと思うのだけれども、いかがだろうか?
もちろん単純に
「テメエ!サインを無視した上に三振するとはどういうこった!クビだ!」
という話だった時に、皆さんはどうだろうか?
けっこうな確率で
「まぁ、そりゃそうだろうな仕方ない、勝手にやったうえに失敗なんだから」となるのではないだろうか?
でも、この物語を「上の指示に絶対服従なんておかしい」という人は、
ダメだった時にも許容してあげる度量が必要なのではないだろうか?なんて思う。
それができないのならば、「指示には従うべきだ」という姿勢をとるべきではないかと思う。
上の指示に従うなんておかしい、と言っておいて失敗には不寛容になっている雰囲気ってないだろうか?
多くの人は、指示に従うのは犠牲になっているというより、
「自分の意志でやって失敗したときが怖いから」だと思う。
上の指示通りやっていれば結果が悪くても、まぁクビにはならない。
これが悪いというのではなく、これも一つのお互いの工夫なんだと思う。
時代の流れを考えると面白い。
サイン(指示・常識)を無視してやったことが道を切り開いている部分も確かにありますもんね。
どうなりますやら。
テレビで医療人の人の奮闘ぶりを見ると本当に頭が下がる。
サインを無視して打ってダブルプレーくらってきた人を、面倒みているようなもんなのかな。