野球の話ということでの写真(チーム、選手などは内容と関係ありません)
何かと話題の日ハム新庄監督が、練習試合で『選手が監督をやる』ということをやっていた。
このやり方は、かつて私も中学生を指導していた時に実践したことがあって、結論からいうと「非常に効果があった」
普通、野球人生というのは「選手として」やれるところまでやって、
それが終わって『まだ野球に関わりたい』ということで監督側(指導者側)になる。
野球というスポーツは一見、「選手がやっている」ように見えるが、
実は監督がやっている部分が大きい。
というのは、たいがいのスポーツは実際に試合が始まってしまえば、外からギャアギャア言おうとも、監督の影響力なんて微々たるもので、それまでに仕込まれた能力で試合をするしかない。
しかし、野球というのは試合が始まってからの方が監督の影響力が出てくるという、数少ないスポーツなのである。
現代社会で多くの人が関心を持つのが「脳科学」だけど、「何をするにも脳が・・・」ということで色々と研究されているが、野球というスポーツにおいては監督が「脳」なのである。
選手は、「いかに監督の指示(サイン)通りに動けるか?」が課題になる。
この感覚は野球をやっていた人にとっては「そういうもんじゃないの?」ってなものであるが、他の種目をやっていた人に言わせると異様に感じられるようで。
かつて野球の感覚を話した時に、バスケやサッカー、ラグビーの監督から、
「え~、それじゃあ野球って監督がやってるようなものなんじゃないか」
と言われたものでした。
確かに、さんざんスイングの練習をさせておいて、「待て(振るな)」「犠牲になれ(バント)」を指示できる権限は一度やると病みつきになります。
一球ごとに監督が介入することができます。こんなスポーツほとんどないハズ。
その機能を確かなものにするために「野球を通した人間教育」と称して育成していきます。
その感覚を受け入れられるかどうかが、「サッカー」と「野球」のどっちにするかの分岐点になっているような気もしますがどうでしょう。
(坊主にするしないも、服従するかどうかですから)
よく、
野球の監督が試合でブチ切れているシーンがありますが、あれはそれくらい感情移入できる面白いものだからです。
選手は駒(コマ)として役割分担の中で動いているので、
負けたとしても「そりゃ悔しいけども全責任ではない」と思うことができます。
しかし、監督はすべてを動かしているので、負けた時には自分に降りかかってきます。
将棋で負けた時と同じ感覚です。
将棋で負けると、盤面をぶん投げたくなるくらいに悔しいのは「自分の無能」がハッキリしてしまうからです。
さて、私が中学生に監督を務めさせる指導をした結果なのですが、チーム内で3チームに分けて、レギュラー選手が監督をしました。
試合に出られないからやる気が無くなるかと思いきや、全くの反対で、
むしろ「いつもは見せない意欲」を出すようになりました。
センスはあるが、声を出さないような選手だったハズなのに、積極的に声を出すようになりました。
他チームの試合を真剣に偵察するようにもなりました(笑)
そう、野球の監督ってメチャクチャ面白いのです。
やると絶対に負けたくなくなります。その気持ちは選手よりも強くなります、
だからあんなふうに「大人げなく」なっちゃうものなんです(笑)
効果として、選手の時よりも俯瞰で見るようになるので、プレーヤーに戻った時に余裕ができるようになりました。
その体験をしたあとで、インタビューをしたところ「良い選手というのは自分の思っていたの違った」と答えてくれました。
それまでは、「速い球を投げる」とか「遠くに打つ」などの個人技能の優劣が「野球のチカラ」だと思っていたものが、「チームに協力してくれる選手」という風に変わっていきました。
例えば選手を交代させられた時に、不機嫌になってしまう選手の煩わしさや、逆に変わらずにチームを鼓舞してくれる選手の大きな価値に気付いたりします。そして、チームの指示を伝言してくれる大切さも気づいてくれました。その後は、監督経験をした選手はどんどん指示を伝達してくれるようになりました。
また指示を待つだけではなく、自分たちで考えるようにもなりました。
私なんかは、野球指導の一環として早いうちから「監督業」もやったらいいと思います。
その結果「マシな人間になる」ことにも繋がるのではないかなと。
というわけで、新庄監督が行った『選手に監督をやらせてみる』という練習方法は、今後の日本野球では流行っていくのではないかな?と思います。
監督をやると野球って、どのレベルだろうが面白いですもん。
ちなみに監督と選手が同じ服装をしているスポーツというのも野球くらいですね。
そう、プレーヤーですから(笑)
あと、
『選手の考えていることがよくわからん』とお悩みの監督さんも、試しにこういうのをやって観察してみると、
「あ~こういう風に野球を考えていたのか~」と知ることができるかもしれません。
「なんだよ、分かったような顔しているから気を使っていたら、全然わかってなかったのか~」
なんてこともあるかもしれません。
これをきっかけに野球の説明をするのも案外遠回りではない気がします。