kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

ニュース見ながら

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とくにふさわしい写真があるわけでもないので。

 

あ~、こんなことってあんのか。

 

という世界情勢。

 

昨年末くらいだったか、映像の世紀プレミアムという番組の再放送があり、近代の戦争の流れを映像で見ながら学んだ。

特にあのあたりの地域は、あっちから攻められたり、こっちから攻められたりホントに大変な地域だ。

 

 

もちろん専門家ではないので、詳しいことは分らないけども、日本で単純に想像しているような事情とは違うように思う。

 

日本は先の戦争でコテンパンにやられて軍という概念がふっとんだおかげで、このような事態になった時に「祈る」くらいになってしまっているが、もしうまいこと太平洋戦争を回避して、そのままの体制が維持されていた場合には、このような事態には必ず参加していたのだろうと思う。

 

よく言われていることではあるが、日本のような島国と、あのあたりの地続きの中での「国境意識」は相当に違うらしい。

 

ちょうどニュースで、『東京と京都で戦闘しているようなものです』という例え方をしていて、確かにイメージは湧いたけども、果たしてその例えで本当に合っているのかどうかは私にはわからない。

 

こんな状況になると、『日本も軍備を整えるべき、核武装すべきか?』という議論が湧きあがるけども、この手の議論でいつも思うのは、

「こういう議論は行くことになる人をちゃんと入れるべきじゃないの」ということ。

 

つまり若い人。

 

・・・で、若い人たちが「嫌だ」となったらもうそれで仕方ないんじゃないのと。

 

甘いのなんの言われたって、「自分じゃない誰か」に危険を担ってもらって自分は生き延びるというのはいかがなものかと。

 

なんだか「誰かがやるべきだ」みたいな論調が多いような気がするのだけど、それならそれで気持ちよく協力するのか、嫌なら嫌で、みんなも嫌なんだからあきらめるか。

 

そんなことを思いながらニュースを見る。

 

こんなこと私がいわなくたって黙って国防の最前線で頑張ってくれている人には感謝しかできないというか、なんだか申し訳ない。

 

それにしても、こんなに事前の緊張状態が報道されているところから、実際に戦闘が始まるというのはなんともいえない複雑な気分だけども、それをいうなら、かつて日本が戦争に突入したときの雰囲気はどうだったのだろうか?なんてことを考える。

 

それこそ真珠湾攻撃の時なんかは、宣戦布告もせずにいきなりやったということになっているわけだから、今に置き換えてイメージしたらホントにどえらいことだなと。

 

う~ん、これまでの人生の期間の中でも色々な紛争のニュースはあったはずなのだけども、なんだか今回の感じが違うのはなぜだろうか。