kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

勝つためには

引きこもり生活の中で、たまった新聞を読む。

廃品回収が迫っている。

 

そんな中で

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ケイリン日本代表のヘッドコーチの記事

オリンピック自転車競技の代表監督の記事がありました。

 

現在、競輪界では、自転車競技において世界で勝つための取り組みをしていて、

かなり実を結びつつある。

 

その切り札として招へいされているコーチである。

 

このコーチのトレーニング風景はテレビなどでも紹介されている。

 

とにかくハードである。

 

科学的にハードというか・・・

 

「勝つために必要な能力はこれだ」

ということで徹底してやっている。

 

記事より

 

指導はあえてフランス流。

 

選手との「紛争」

 

成長の機会とみる。

 

「人のいいなりになるような選手は強くならない」

 

そうだよな~

 

こういう感覚のために外人コーチがあるのかもしれない。

 

日本人同士だとなかなかこうはいかない。

 

そもそも監督と議論なんぞをする土台というか文化がない。

 

人間教育と称した部活指導で欠落している感覚だと思う。

 

そもそもチームを「目的達成のための集団」と思えば、

試合に勝つのはプロジェクトであり、

同じ目的のために議論すべきだと思う。

 

「いいなりになっているようなのは強くならない」

 

たしかに逆境に弱そうだ・・・

 

日本のスポーツチームだと、たとえば

「なにやら選手が監督に不満を持っているらしい」

ということをヒソヒソと裏で話し、

たまりにたまってクーデターみたいになってご破算になったりする。

なんなら、周囲もワイドショーネタみたいに扱ってはやしたてるから、

引っ込みつかなくなって

 

みんなで不幸なんてオチもよくある。

 

そもそもなんだったっけ?ってオチになる

 

不満があるというのは、

言い方を変えれば現状を変えたい向上心ともいえるわけで、

そのエネルギーをチャンスと捉え、うまく使えるかが指導力なのかもしれない。

 

外人のコーチとのトラブルで

「日本人(文化)を理解していない、こっちにはこっちのやり方がある」

みたいなものがある。

 

そういや、ラグビーのエディコーチはそんな意見に対して

「それで勝てないから俺を呼んだんじゃないの」

と、これまた明快に答えていたが、そりゃそうだった。

 

「紛争上等、議論しようじゃないか!」

 

そういや、そんなエネルギーが学生時代にはあったな・・・

 

いや、こっちでもあったんだけど最近は相手がいない(泣)

 

まぁ、私もいいなりの人生だし・・・

 

などと言おうと思ったが、

私の場合

ちゃんと人のいいなりにやってりゃ

もうちょっとちゃんとした出世する人生なんじゃないかと思ってみたりする。

 

なんなんだろうか、

どうも頭ごなしに言われると反抗したくなるというか・・・

 

こっちで学生の指導なんかをムキになってやっても出世にはならんどころか、

損してばっかりなのに反抗としてやってる感がある。

 

運動教室も反抗期の気持ちでやっている。

 

どうもあきらめが悪い・・・・

 

卒業生のほうがよっぽどものわかりがいいな、見事な距離感をとってくる。

 

 

文句言ったからにはやらねばイカンという発憤材料になる。

 

あんまり言うと仕事が増えるからな~と我慢できる人は、

そもそもやらないから大丈夫。

 

 

そういや、ちょっと違うけど

 

なんだかの人生相談かなんかで

 

「芸術の夢を追うか、現実的な生き方を選ぶか悩んでいるがどうしたらいいか?」

 

という質問に対して、答えた芸術家が

 

「大丈夫、悩む必要なんかない、

悩んでいるような人はやらないから心配しなくてよい、

やらずにはいられない人がやる世界だから」

 

なんてのがあり、思わずニヤリとしてしまったが・・・

ちなみにその相談者はたしか東大の学生だったから、

努力するのをためらうような人間性ではなく真剣だったと思う。

 

もうこれ、そのまんま学生に伝えよう。

 

トレーナーになるにはどうすりゃいいか?

やるかやらないか悩んでいる

 

みたいなのに、私なんてつい

「こんなやり方があるんじゃないか?それでダメならこんなやり方が・・・」

なんて考えたり、

正直いって「この子じゃ苦しいな~」なんて思っても、

なんとかやり方を考えて・・・

仕事でもないのに現場を作って体験させたりしてみたのだが、

 

結論として、やる人はやるしやらない人はやらない。

やってもなんだか小粒というか・・・

 

なんなら仕事のトレーナーの学科の先生のほうがサバサバしていて、

私が敗北感にまみれたりしている。

 

あげくに、

「アイザワにちょっと実習に行かなかっただけで文句言われる」

などと無記名投書くらう始末。

 

『こんなことならやらなきゃ良かったぜ~親切にして損したかな~』

と思うことっていっぱいありますけども、

 

「やってみたからわかった」ことも沢山ある。

 

こういう空回りをしたからこその重みもやっぱりある。

人の面倒を見ないでいながら能書きを言っている人のセリフは

とても整っているからよく分る(笑)

 

『もっともらしくカッコいいこと言ってますけど、誰か育てたことあんの?』

なんて問われる時がやっぱりあって、その恐怖が私には常にある。

というか、口には出さないが内心そういう目で人を見ている私がいる。

それは学生時代に接した先生たちが「やってきた人たち」だったからだと思う。

 

まぁ、そもそもそういうことをやってなかったら、

『ホントにやるやつ』が出てきた時に力になれない。

 

あと、自分の手を汚さずに

「いや~いまどきの学生はダメですよ~」

 

なんて私が言うようになった日には、

これまでお世話になった恩師の皆さんやら、

「あいつには負けたくない」と勝手に張り合っている仲間から

「へ~あなたもつまらない人になりましたね~」

なんて思われそうだ・・・・

 

こういうのを自意識過剰というのだろうが・・・

 

 

まぁ

 

「紛争」なんていうと物騒だけど、

 

やっぱり議論しながら進める作業があると楽しいだろうな~

 

とは思う。

 

自分の立場を守るポジショントークの議論ではなく、

なにか共通のミッションを達成するための議論みたいなの・・・

 

なんか卒業生にしても、

もう若いのに悟った感じになっているけども、

まぁそれはそれで大変そうだな・・・

 

 学生時代ってそういう意味でも貴重な時間なんだな・・・