写真と内容は関係ありません(特にふさわしい写真がないので)
なんとなく自粛しておかないといけないような空気感。
いわゆる世界情勢ですけども。
それにしても思うのは、私の生きている期間の中でも世界で紛争って常にあったように思うのですけども、今回の場合は随分と世界の熱量が違うと感じるのですけどもワタシの気のせいでしょうか。
それこそ、つい最近のミャンマーであるとか、中東の紛争であるとか・・・
その他もろもろの紛争の時は、そこまで本気で取り組んでいないというか、悪く見ると「その辺で武器を消費してくれ」という感があったような気も。
低く見ている国とそうでない国の差か・・・
今回は日本も難民の受け入れを表明しているけど、かつての紛争での難民には厳しかったと思うけども・・・
ヨーロッパ中心主義がよくわかる。
ウクライナに支援せねばと「武器の援助」って、ありがたいのかもしれないけどなんだか「ホレ、弾はあげるから頑張ってね」というのはホントに支援として合っているのか?
「じゃあどうすりゃいいの?やられちゃうじゃん」という理屈もそうだけど、かえって追い込まれやしないか?
それこそ、「危ない武器がどんどんと入ってきているから」ということで「核兵器」を使用する口実になりはしないのかな?
一部のコメンテーターが『降伏してでも命を優先した方が・・・』という意見を出したら、ボコボコに非難されている。
「そんな戦争で国の主権を侵すようなことを認める前例を作ったらいけない!ウクライナがんばれ~」
・・・というけども、
今の日本を考えたらかつてその戦争で国がひっくり返っていますけども・・・
その結果が今の状態ですけども、どう考えたらいいやら。
自分の国の近くで「核兵器を使われたらイヤダ」ということでヨーロッパの国々が真剣になってくれているとすれば考えようによっては、ようやくこれまで日本が一生懸命に「核兵器はいけない」という体験談を訴えてきたことをマジメに聞いてもらえるようになるのかもしれない。
でも核兵器なんて使ったら、その場所はしばらく立ち入りできなくなるわけだからマジメにその場所を活用しようと思うんだったらやらないのではないかと思うけど。
それとも、どうせ緩衝地帯としての位置づけなんだから人の出入りできない場所にしてしまえ~
というところまでヤケクソになってしまっているのか。
ここ最近のニュースやネットの論調を見ていて、つくづく思うのはこういう時のための「憲法9条」だったのだなと。
「もう何があってもやんね~ぞ」と戦争放棄を決め「永久に」という強い文言まで入っているのに、100年も経たずに「やっぱ持った方が~」となるのが人間なんだなと。
「だって攻めて来たらどうすんだ、話し合いなんてできないぞ」
などと勇ましく言う人も多そうだけど、
「だからかつてもそういう事になって軍にチカラを持たせたらああいうことになったんでしょうが」と断固守ってもらいたいと思う。
まぁ、憲法で決めておかなきゃ声のデカい人に流されてしまうこともありそうですもんね。
軍を持つべきって、軍人から希望が出るのかと思ったら民衆から出るものなんですね。かつてもそうだったのかな。
それにしても、その国の優秀と言われている人がトップに立っているハズなのにどうなってんだか。それとも優秀と言われるのはトップの脇に居る人で、言う事聞くから優秀ということで側近どまりなのかな・・・
いや、優秀だと追いやられるからポンコツばっかりなのかな・・・