右端・・・ターミネーター監督 中央・・・その子分
・・・がしかし、雨天のため試合が中止になってしまった・・・
そういうわけで、わざわざ大阪から和歌山まできてくれたS山高校を私なりに「おもてなし」する流れとなった。
星林高校と合わせて組長指示のもとで合同練習することになった。
まぁ、星林高校に依頼されてトレーニングコーチをしているのに、そのグラウンドでS山高校を熱心に指導するというのも変な話という考え方もあるが、星林高校野球部にしてみればもう慣れている私の指導をS山高校が熱心に聞いている姿を見れば「あら?この先生ってそんな真剣に聞く価値あるの?」となるかもしれないしならないかもしれない(笑)
相手の人数合わせて約80人 用具なし、場所 武道館
わが軍の兵力は大将くん、ハヤシデ隊員、ヒラセくん・・・
ちょっと前までこっちにいたミゾバタくんは、
「今日はこっちのチームですから組長のお手並み拝見です」とばかりにS山高校のコーチヅラして私を試すような眼でみていやがる。
ほ~そういうことするわけね・・・上等だぜ!(笑)
この人数を道具なしでどうやるんですか?と不安になるわが軍のメンバー・・・
人数がいるからこそできる練習があることを魅せてしんぜよう~
おもてなし第1弾・・・柔道場での集団練習
相撲健康体操からいただいた股関節エクササイズ!
これのおかげで私が2日後に地獄をみることに・・・(笑)
一緒にやっているターミネーター監督(笑)
こうして監督が一緒にやってくれることは、指導を成功させる上で非常に重要なポイントである。
だいたい、トレーナーなりを呼んでも成功しない理由の一つは監督なりがトレーナーに任せて放置してしまうことにあると思っている。
やるのは選手なのに監督がやるのが関係あるのか?
と思うなかれ・・・年代が下がるほどに重要になる。
実は選手はかなり観ている。
高校生・中学生・小学生などやっていることが価値があるのかないのか自分で判断できるほど成熟しているのも居ないことはないが少ない。
監督が興味津々で食いついていると「これはそんなに価値あるんだ」と理解するものなのである。逆ならばもちろん反対になる。
だから演技でもいいから食いついた姿勢を見せることが指導者としては重要だと思っている。
総合格闘技の基本! おんぶ一周! こういうのは柔道場でやりやすいですね~
雨もあがり
ハヤシデ隊員によるスーパーストロング@パワーバーエクササイズ体験!
星林も弱いところは見せられんと頑張っている。
・・・とその間、私はこっちのおもてなし
バッテリーへの指導・・・高校生と私だけの濃密な時間・・・
さぞかしイキイキするかと思いきや
なにかに怯えたような眼の選手たち・・・
「あり?そんなに怖いかな・・・優しく話しているつもりなんだが・・・」
なぜだ・・・? なぜそんなに私をみて怯える・・・?
その答えは・・・
もはや興味津々というレベルではない視線で私の話を聞きいる
ターミネーター監督の姿が・・・
選手はこの視線を横目に感じていたわけか・・・確かにコワイ・・・(笑)
これは逆にアタマに入らんな(笑)
こういう時は監督はいなくていいです(うそです 笑)
さて、この日私は一切、フォームの話はしていないのだが、ミゾバタくんの話を聞くとここでの話を聞いた選手たちがそのあと、かなり良くなったらしい。
やったことは「考えさせた」だけです。
「哲学」の大きなテーマである
「自分ってナンダ?どれだ?どこだ?」
ってな話の野球版です。
「バッティングピッチャーの時は打たれてもフォームは乱れないのに、なぜ試合だと打たれてフォームが乱れるのだろうか?」
なんてなことを皮切りに
「2ストライクまでは素晴らしいボールを投げるのになぜ決めダマは悪くなってしまうのだろうか?そしてそれは『もうちょいなのにおしい!』ことなのだろうか?」
ということを考えてもらった。
私の結論からいくとそれは全然「おしくない」
それどころか大きく間違えているということではないか?という話をした。
火事場の馬鹿ヂカラというものがある。
これをコントロールして自在に出すことができたら無敵の選手になれるであろうが、ことはそう簡単ではない。
火事場の馬鹿ヂカラは「我にかえると出ないチカラ」である。
つまり「自分で出そうとすると出ない」
非常事態にリミッターがとんで出る力であるのだが、
「自分がやっている」意識丸出しのスポーツという状態ではナカナカでない。
何も考えていないほうが力が出るのはこれに近いのかもしれない。
・・・でこれをアテにして公式戦なり試合にのぞむとどうなるか・・・
「無意識の力を意識的に出す」という超矛盾なことをやりたいはずだが出るわけはなく、
単にリキんでフォームを乱すというのがパターンとなる。
さて、プレッシャーのかからない場面や2ストライクまではいい球を投げられる人はそれは身体の持っている素質を自然に発揮した球なのではないかと思われる。それはそれで素晴らしいのだが・・・それは意識している「自分」ではなく寝ている時の「ねぞう」みたいなものである。
・・・で、「ここぞ!」という意識の入った球こそが「自分」が投げた球なのではないかとは言えまいかと・・・
てことは、それが悪くなるということはそもそも『自分が考えている投げ方』が間違えているんじゃないのと?
こ~いう話は好きな人は好きだし、プレイヤーで悩んでいる人にはしっくりくる話なんだけどフォーム分析を大切と思っている人や現役の気持ちから離れているコーチやトレーナーには煙たがられるだろうな~(笑)
こういう精神論もあるんでないのと・・・
いい球にしろ悪い球にしろ
「今投げたのは誰だ!」
って問うことが重要なんだけど、ここだけみたら「何いってんだ?」となりますよね。
「自分が投げたに決まっているだろと」
じゃあその「自分」を「自分」と言ってる
「自分」はどこにいるんだ?
・・・とぐるぐるしてみることが案外おもしろい旅になりますね。
座禅の世界ともつながってきます・・・
僕なりに野球の謎を考えてきたらこうなってきたんだけど、これはメンドクサイ奴ですね(笑)
でもそれなりに犠牲にしてきた部分もあるんで、いくとこまでいかないととなった次第です(汗)
もうね、こんな風になってきたからできるだけ野球に口出ししないようになっている今日この頃です。
嫌がられます。
ターミネーター監督みたいな変な人しか喜びませんし(汗)
O山監督も大概ですけど(笑)