夕暮れの職場(関西医療大学)にて
朝の出勤時に、かつて授業を担当した女子学生から、
「先生っていつも荷物が多いんですね~」
と、感心したかのように言われた(汗)
確かに、ショルダーバックを担いでいるうえに、両手に手さげバックが3つもあればそりゃ多い。
私は答える。
「おう、荷物が多いってのはな、仕事ができない人ってことなんだよ」
女子学生はズッコケて笑っていた。
「仕事ができる人っていうのかと思いました」
私は答える
「今日、何の仕事をするかわかってない、計画性がないから荷物が増えるんだよな、そんで結局使わなかったりするわけだ」
・・・と、
仕事ができそうな人みたいにエラそうに語ってみる。(荷物多いくせに 笑)
かつて私が若いころ、仕事論を色々と読み漁った時期がある。
・・・で、そのころもてはやされたビジネスマンだったりデザイナーが、荷物が非常に少なかったり、部屋に無駄なものが一切なく、たいていはMacを使っているという。
部屋に無駄なものは置かない。部屋が整理できていない人は頭も整理できていない。
すなわち「仕事もできない」となるという・・・
ただ、私の感覚として、部屋に一切「無駄なものが無い人」と、「無駄なものだらけ」
の人と、どちらが付き合いやすいかといったら、「無駄の許容量が多い人」に甘えてしまいそうだ。
大体、無駄のない人にお土産なんて持っていきにくくて仕方ない。
「こんな無駄なものを持ってきやがって」と言われる(思われる)のが目に見えている。話題も「無駄な話をするな」となりそう。
まぁ「お土産なんていらない」というポーズがカッコいいという風潮もあるような気もするけど、お土産の醍醐味は、「そんな楽しい旅先で、俺の顔を思い浮かべてくれたとは嬉しい」ということであり、その品が合理的な理由で必要かどうかを問うというのはちょっとナンセンスというか、さもしいというか。
それを「しっかりしていて仕事ができる」というのなら、それはずいぶんと世の中が安定していることを前提とした話だったんじゃないかな~と、今は思う。
一口に仕事と言っても、
「決められたことをちゃんとやるタイプの仕事」
「状況に応じて対応していくタイプの仕事」
「新しいものを考える、問題解決するタイプの仕事」
などなど、切り口によってはもっといくらでも出そうだけど、
それぞれの「できる人」があり「できない人」がありそうだ。
「決められたことをキチンとやる」タイプの業務の時に俄然チカラを発揮する人がいて、そういう状況下で私は「とてもできない人」になる(汗)
決められたことをこなすタイプの仕事は、「比較しやすい(されやすい)」という特徴がある。なんたって同じことを目指しているわけだから、いかにキッチリやっているか?効率的にやっているか?従順にやっているか?なんてのが基準になるのかな?
評価する人もあんまり頭を使わなくていいというメリットがある。
あと決められたことをやる仕事は、終わりがある。(オンとオフがしっかりしてる)
これはけっこう嬉しい。気持ちよく休める。休日が楽しみになる。
一方で、状況に対応する仕事、新しいことをやる(やろうとする)仕事というのは、これは非常に評価しにくい。評価する方に労力を要求する。
「自分が自分として自分をしている。」という強がりも言えなくはないが、失敗も自分の責任となるので休まりにくい。
オリジナルをやってきた人は、オリジナルを評価する技術を持っているのかもしれない。
「アイツはできるヤツだ」とか「できないヤツだ」とか、そういうセリフを言う方も、言われる方もこんなことを心に留めておいたら、もうちょっとゆとりが持てるのかもしれない。
人の評価は、やっぱりその人の得意とする思考スタイルからの評価であるので、わかってもらえるかどうかもその相性次第になる。
だから今、冷遇されていても評価する人が変われば逆転することもある。もちろん反対もある。
スポーツで監督が変わったら、選手が変わるのはわかりやすい典型だろう。
とかなんとか言いながら、自分を励ます。
まぁブツブツと言っておりますが、これから仕事をする学生さんやら、読んでいるかもしれない卒業生さんへの私の体験談としては、
どちらがいいとかではなく、それぞれの「力を発揮しやすい状況」というのがあるということで、
『たまたま自分が有利な時』には、
『たまたま不利な人』に
丁寧に親切にしつつチカラを発揮しておくと
逆の時に助けてもらえるというのが、仕事の醍醐味かと・・・・
間違っても、タマタマ有利な時に、タマタマ不利な人を馬鹿にしたりしていると、必ず不幸になるわけじゃないけども、ピンチな時に自分の心が追い込まれやすい気がする。
それはこっちの仕事じゃないんだから、そっちで考えろ
などと冷たくしたりしないほうがいいですよ。