写真と内容は全く関係ありません。
最近、昔好きだった漫才の動画をよく観る。
中でも「夢路いとし・喜見こいし」さんの漫才を何度も聞いている。
小学生の時だったか、まだご存命の時にテレビで観てとても好きだった記憶があった。
いとしさんがボケて、こいしさんが呆れて遠くを見るときの顔が好きだったりした。
さて、そんなネタの中で、(この動画ではない)
「級長になったからには、『人のいやがることをやらなければならない、だから女の子の髪の毛を引っ張ったりした』」
というボケがあり、
「意味が違うだろ!」
とツッコむというくだりがあった。
「人が嫌がることをやる」もしくは「やらない(やるな)」
このフレーズ、言われてみれば、子どもに教育というか躾(しつけ)のセリフとしては、「やってはいけないこと」として「人の嫌がることはしてはいけない」というのがある。つまり「やるな」と。
一方で、スポーツ選手に対して「人が嫌がるようなことをしなければ一流選手にはなれない」という云い方をすることがよくある。
これは例えば、地味で単調で人が嫌がるような練習が大切なのだという意味になり、つまり「やれ」として使われる。
道徳教育として「掃除」なんかもそうですね。
こういうのを当たり前のように使い分けているけども、改めて考えてみるとどうやって使い分けているというか、理解する方も、「あ~、これはやれだな」とか「あ~、これはやるなだな」と感じているのであろうか。
こういうのって、けっこう凄いことなんじゃないかな~と思ってみたりする。
「だからどうした」と言われちゃうとあれなんだけど、人のコミュニケーションって面白いな~と思ったということでした。
要するにいきなりポンとセリフがあるのじゃなくて、
そこまでの流れとか、相手との関係性とか、
そういうものも含めて言葉の意味になるというか。
だから、これを言っておけばいいというセリフがあるんじゃなくて、そこまでの流れを大事にしないと意味って伝わらないんだな~という風に解釈してみたのですけど、どうでしょうか。
なんだかカッコいい言葉を言っているのだけど空虚に聞こえるスピーチと、特別な言葉はないのに沁みてくるスピーチってどこが違うのかなと考えたりすることが多いのですが、そんな中でふと思ったことでした。
もうチョイとカッコいい文章にならないものかと反省しております。
「いとこい漫才」おすすめです