つづきです(前から読んでください)
そして試合後・・・
「いいチームだね~」と言った私に井村監督から返ってきた言葉は想定外のものであった。
「ありがとうございます!相澤さんのやりたかった感じになってますでしょ?」
「はぁ?」
「いや~相澤さんに教わった感じをやりたいな~と思ってるんですよ」
「相澤さんにはかなりお世話になってね~ミートくん!相澤組のTシャツ作って着てたもんだよ~」 などと言う。
(そういや作ったな 笑)
おかしいな・・・
私は、あんな井村監督の采配のような明るい雰囲気は出してないハズだけどな・・・
ピリピリしてて選手には嫌われてたハズだったが・・・
その時、彼はお世辞を言っているのだと思った。
しかし彼の話ぶりを見てるとどうにも演技に思えない・・・ハテ?
・・・で3日ほどそれが引っかっていたのだが、
「あ~そういうことか~」と合点がいった。
当時、私は東海として勝たねば!
とイライラしながら強豪私学あがりの選手に神経を使って監督をした反面、地方から「東海に憧れて」来てくれた後輩に対しては
「絶対に東海と野球をキライにならないでほしい」
と思い大らかな感じで結構熱心に野球の技術や戦術指導をしていた。(そういうのが好きだった)
それは私学野球に対して100%納得していない面もあったからだ。
また私個人としても、監督として孤立していく状態の中で、私の話に目を輝かせて聞いてくれる彼らとの時間は精神的にとても重要であった。
井村監督にしてみればそれが強烈な思い出になっているようであった。
私としては、監督としてイライラしてばかりいた記憶が強かったのでその時間の事をすっかり忘れていた。
私は勝つためにはイライラピリピリするのが当然で、
「皆がイキイキとやってる野球なんてのはキレイ事」と思っていたが、そうでないスタンスもあり、それも実はやっていたということに気付かせてもらった。
さらに言えば、それでも勝つ事ができるということを教えてくれた。
考えたら、私が和歌山でやってみたいと思ってやっていることだ。
『お前のやり方なんてダメだ~』と井村監督に言ってやろうと思って迎えたこの日であったが、「組長のやり方を目指してます~」なんて私にはもっとも強烈なカウンターパンチを食らってしまったのでこれはもう応援せざるを得なくなってしまった(汗)
「あと相澤さんのやってたのマネしてるんですよ~」
と井村監督がやっているのが
「他の部活との交流だという」
ホームページによると、他の部の要素を取り入れるだとか、応援に行く事なのだという・・・
「相澤さんと行った女子バレー部の応援が楽しかったです~相澤さんも言ってたじゃないですか~『こういうのが大事だ!』って~笑」
などと言う・・・よく覚えてやがる(笑)
てなわけで、金沢西高校もちょっと気にしてみてください。
それからなんといっても星林高校!
よくぞやってくれた!ありがとう!
こういう私情を持ち込んでも、
「よ~しイッチョやったるかい!」
と奮起してくれるノリのいいチームになってきたのが頼もしい!
やっぱりこっちは勝っておいて後輩のチームを誉めるというのは気持ちいいですな!(笑)