kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

そうだったっけ?~そのイチ~

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3月10日星林高校に朝からいく!


本ブログの2月14日の記事で「絶対に負けてほしくない相手」とアタフタしていたオープン戦があったからだ!


 その相手とは石川県の秋の大会優勝校でこのセンバツ甲子園の21世紀枠北信越地区の推薦高校となっていた金沢西高校である。


 「何よ、石川のチャンピオンチームならいいじゃない」と普通は思われるでしょうが、全くの私の個人的な理由からそういうワケにはいかないのだ!(千里所長も同感なハズ 笑)


 その理由は監督にある!


 金沢西高校の監督、井村茂雄氏は私の東海大学準硬式野球部時代の一学年下に所属していた後輩なのである!


 彼は石川県の公立高校から何の身よりもなく神奈川の東海大学の体育学部に入り、準硬式野球部に入った。


当時の準硬式野球部には私の母校である付属の東海大相模高校やら東海大浦安やら千里所長の東海大仰星やらというような、いわゆる強豪私学と言われる野球部の出身者がわんさかいた。


そんな中で井村監督はかなりのカルチャーショックがあったことと思われる。


実際、私たちの方からしても「田舎の公立出身の井村くん」ということでバカにしているわけではないが軽んじていた感は否めない(汗)


私は当時、学生監督をしていたので、井村選手を「使っていた」立場にあった。


井村選手のプレーはお世辞にもセンス溢れるというわけでは無かったが、忘れたころに飛び出す長打が魅力で代打で起用するとしばしば大きな当たりをかっ飛ばしたが、今度は走りのほうに難があり、その後は代走を送るというのが定番であった(笑)


さて、その井村監督の采配である。


 『最近、井村監督の金沢西が強いらしい』という噂は風の便りで聞いていたので心中穏やかではなかった。


「あのイムラがそんな強いチームを作れるわけがない!」


と自分の野球観を覆される事を恐れる心の狭い私であった。


 ホームページなどをみると、http://www.ishikawa-c.ed.jp/~nishih/


「皆で団結して楽しいながらも充実した野球をしている様子が出ている。」


 「バカヤロ~監督ってのは難しい顔してなきゃダメだろうが~楽しそうな野球なんてあるかい」


などと思っている私。


完全に「強いチームはこういうもんだ」と決め付けた野球界の固定概念に染まっている。


そんなわけで、絶対に我が星林には負けてもらいたくないので朝からチームに喝を入れにいった(笑)


「いいか、相手は俺の後輩で野球を仕込んだ手前絶対に負けられん!負けたらこのあとのトレーニングに支障がでるぞ!公式戦は負けてもここは負けるな!」


などと無茶苦茶な喝を入れた。選手も笑っていた(笑)


こんなトレーニングコーチはいけません(笑)


試合は、オープン戦初戦なのにも関わらず、変なプレッシャーをかけられた星林の選手たちは先制されるも逆転する展開で後半の金沢西の追撃を振り切り何とか5-4で勝利した!


星林U村監督がオープン戦初戦なのにも関わらず、私の顔を立てて勝ちにこだわる采配をしてくれたのも大きい!(どうもありがとうございます 笑)


 さて、何とか勝って面目を保ったものの井村監督の采配ぶり。


 「なるほど~こういうやり方もあるのか」


と私はこれまでの考え方を改めなくてはいけないと思った。


 監督がベンチの端でムスッとしているのが定番だと思っていたが、その真逆で率先して声を出し、アクションをし、選手もそれにつられてやっている。


選手の雰囲気も非常に明るい。


変な実力差別や上下関係が存在せず、何かに怯えてプレーしているような選手もいない。


まるで「監督」というポジションのプレイヤーがそこに存在し野球をやっているようである。


一体感がある。


「なんかいい雰囲気だな~」


私はこれまでの野球に対する自分の考え方がいかに狭いものかを反省した。