講師の金田一先生は、国語といえばこの人という存在のお方
比喩(別のものに例える)について・・・
よく考えたら私は人に説明する時に比喩をよく使う。
必ず使っていることに気が付いた。
「どう説明したらいいやら」と悩むことは
「どう例えていいやら」を悩んでいるといっても
そう的外れでもないような気がする。
比喩は説明するときに大きな役割を果たす。
考えたら、
説明するという時点で、相手はよくわかっていないのだから、
相手の土俵に合わせるための必須テクニックともいえる。
考えたら、宗教のお話はほとんどが比喩ともいえそうだ。
芸人さんのトークも比喩だらけだ。
比喩は、相手に対して実感を持たせるために有効だ。
わかる話は面白い
というより、
分らなかったものが分った瞬間が面白い
ということで
話が面白い人は比喩が多い。
ということは言えそうだ・・・
が、
だからといって、
比喩をやたらめったに入れればいいものでもない。
相手が分っていないからといって、
かなり強烈な例え話をして印象操作をしていることもあるから恐ろしい。
「そこまででもないでしょ」ということもかなりある。
会話にうるおいを持たせるためにも比喩はよく使われる。
人を褒めるときに
「アナタはまるで〇○みたいだ」
という表現はうまくはまると楽しい。
ただ、その〇○は共通の認識ならばよいが、
お互いにすれ違った認識だとかえって怒らせることもある。
例えば、
「あなたはケンナオコみたいだ」
と言った時、
相手の女性はどうとらえるだろうか?
「いや、歌唱力がすごいという意味で・・・」
と言ったところで、
「それを言いたいんだったら、もっと他の人もいるだろうが!」
という感情になるだろう・・・
(天童よしみでもいいけど)
私の父は、
相手は怒るが周囲の人は笑うような比喩が好きで、
私はよく笑わせてもらっていた。
しかし、それを見ていた母には
「あんたはマネすんじゃないよ痛い目に会うよ」
とたびたび注意された。
今となっては、母の指摘はつくづく的確であったと思う。
今の時代は、
相手の理解の仕方にも幅が出ており、
さらに危険度が増している。
男にウケる比喩と女性にウケる比喩は違う・・・
それから、前述の
「ケンナオコみたい」と言って、
「あら、嬉しいありがとう」
なんて言えるとしたら相当にレベルの高い方であろうか・・・
それはそれで手におえなさそうだ(汗)
ひねりを利かせたすぎた、いらぬ比喩は、
大きな失言につながる。
比喩をすることで、リアリティが出てくる。
当たり前だがリアリティを出すために比喩を使う。
だからドギツクなる危険もある。
そのスリルを楽しんでいると言えなくもないが・・・
これまで私自身の発言を振り返ると
「なんで、あんないらぬ例え話をしたのだろうか」
と反省すること多数。
・・・・
とりあえず、
写真を一枚貼って書き出してみようと始めた今回のこの文章、
うっすらと
「学生の会話には比喩がないな~だから弾まないのでは・・・」
なんて話を展開しようかと思って考えていたら、
結局は私の反省文となった。
しかし、
うまい比喩を言えた時の快感は中毒性があるのですよね~
学生時代に接した面白い先生たちはホントに比喩が上手かったもんで・・・(笑)
コーチの世界ってのも比喩のオンパレードですから(笑)
ついひねりたくなる欲との戦い・・・