kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

野球禅問答③

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西宮東高校野球部でコーチ兼トレーナーを務めるヒラセ組員)


喜ばれているのか怒られているのか分からない中でブログを書き続けるという・・・これぞまさに禅問答(笑)

な~んて言ってみたりしますが、大阪の先輩がFBで褒めてくれたりするもので、もう勝手に書いていきます。

これを書いている日、大学のほうでは、あのイチロー選手のトレーナーを務めたほどの先生が講演してくれた。

ちょいと用事もあったので最後まで聴講できなかったのが残念であったが、けっこうマニアックなトレーニング方法を紹介してくれていた
いわゆるファンクショントレーニングの範疇に置かれるものである。

このマニアックというのがクセモノで、私にとってはトレーニングと実際の技術とを結びつける重要な要素であると分かりはするが、
学生にとっては果たしてそれが響いたのかどうか?

講演がうまくいくかどうか?

対象者のニーズを把握できているかで大きく変わる。

というより対象者のニーズを読み誤ればどんなに高度な話をしても「馬の耳に念仏」ってなもんで不発必至である。
講演をしていてツルンツルンと自分の言葉が上滑りしていくあの状態
それはそれはホラーとサスペンスである(笑)

ウケようと思ってスベッタ時のあの感じ・・・
そして苦し紛れに放つギャグやスキャンダルネタまず当たることはなく問題発言になってしまうこともシバシバで・・・


「こんなにスライド作って時間内に収まるかな~」
などと心配しながら作ったパワーポイントだったのに、出すもの出すもの滑りまくりで、全部読んだのにまだ15分余っているという事態もあったりで・・・
当然「何か質問ありますか~」などと言ってあるわけもなく・・・

これは私がよく行かされる高校生への出張授業で起きる・・・
要は、相手に求められている状況ならば、大胆にいっても相手が好意を持って解釈してくれるのでよっぽどの横着でもしない限りだいたい何とかなるが
「相手もとくに関心がない」状態であればこれの難易度は一気に上がる。
(おっかない顔したターミネータ監督がうしろにいるからウケないというパターンももあったが 笑)

私の上司の教授は鉄の心臓を持っていて相手がどんなにイヤな顔をしていようとも、自分のギャグがどんなに滑っていようとも「相手が悪い」と決めつけ進行していくハイパー教授である。

「どんな相手にも、これを言えば鉄板」というネタはない。
こういう相手にはこれを言えば鉄板」というネタはある。

さて、先のネタで「現在の高校生はプロ野球を観ていない」と述べた。

今回の講師の先生は「あのイチロー選手のトレーナーですぞ!」とこっちのオトナがさぞかし喜ぶであろうと用意した講演であったが・・・

だから観てないんですって・・・

案の定というか、主催者側(つまり大学)の希望的思惑のとおりではなく、
「これはやばいんじゃね~か?」という私の悲観的予想が的中してしまった。

「これ知ってますよね~」という私に言わせればもちろんトレーニングの基本用語であるが、学生は知らない。だって興味ね~もん。
なんなら学生からしてみれば「なに見下してんの~」とイヤミに聞こえてしまったかもしれない。

いや、何もこの講師の先生が相手を把握することに手を抜いたのではない。相手は「トレーナーを目指している学生です」の前提のテーマでやっているのだから文句を言われる筋合いはないのである。

実は、この講師の先生の時代はまだトレーナーとは、こういう道でやればなるという用意されたコースがあるわけではなく、自分で武器を拾い集めながら今の状態を得たのである。
だから、「こういうネタを教えてあげれば武器になるから喜ばれるハズだ」とちょっと捻ったネタを用意してくれていた。
しかしながら、現在の学生は「トレーナーコース」というように、大人が用意してくれた状態を当然と思っており、自分から何かを獲得しようという気持ちがない

いや・・・

「気持ちがない」などというと学生に失礼になるし当たっていないのかもしれない
言い方を変えると

コースを用意されている・・・ということは逆に言えば

「こっちが教えること以外の余計なことはするんじゃね~ぞ!」ということも意味するのである。
「いらんことはするな」とはよくいう事であるが、
なにが「いる」でなにが「いらん」かは実はやってみなけりゃワカラナイことも沢山あるのである。

道なき道を来た人は「いる」も「いらん」も指図されることなく自分の意思でやってきた自由があったともいえるのではないだろうか・・・

まぁ、一番は残念ながらうちの学生においてはメジャーリーグのトレーナーであるということはもはや耳を傾ける価値を持たないのである。
それは本学ではすでに実証されているのである。

だから私は路線変更しているのである(泣)
本来ならば大盛況になってほしいところであるが、プロと関わっているというネタだけで引き付けるのは難しい。

といって、
やり方が無いわけでない。

私ぐらいの世代にとっては、「そんな身近な話なんてつまらないだろう」というような具体的な話や、次の小さな一歩を踏み出す具体的な方法論にはかなり食いつくのである。

100歩先の遠い未来の話(たとえ夢のようないい話)より
次の一歩をどう踏み出すべきかという
具体論を強烈に欲しがっている。

おそらく、いまの大学生は「抽象的な表現」ばかりの中で生活しているので、具体的な話が聴きたいのである(私もそうでした)。

「こういうのはいかがなものか?」とか、「そういうのはどうかと思う」

というような、自分の立ち位置をはっきりさせない表現にしておいて
あとで責任を追及されないようにしようというのが世の中に出回りすぎているのではないだろうか?


まぁ、私の思う野球界的野球なんかやっていると、

こういうあいまいな表現にも免疫がつくようになる。

例えば・・・
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打席に入る時、やたらとベンチ(おもに監督)から
考えて行けよ~」
などと言われる・・・


そこで「考えるって何をですか?」などと聞き返すのは野球人ではない!
もし聞き返したとしても、「だから考えるんだよ!」と言われるのがオチである。

さて、考えて打席に入って、
「そうか~よ~し考えた結果、初球をフルスイングじゃ~!」

などと
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大振りしてフライなんかあげてみなさいよ、

「だから考えろと言ったろうが、何聞いてんだバカやろ~」
となるのが定番である。

そこでマトモに統計はとっていないが8割はこうするであろうという所作は・・・


とりあえずバントの構えをして引く」ってやつですね(笑)

これは100点の答えではないが、「とりあえず考えました」という・・・

そう・・・

誠意を示したことになる(笑)

このときボールであると、とてもホッとする(笑)

たまに引くのが遅れてファールになったり最悪はフライを上げたりしてしまうこともある・・・
私の中学の場合、こうなったときにはベンチに私の戻る場所はなく、
校外追放の刑に処されるのが慣例であった(泣)

こういう結果論の世界に生きているので野球人は社会で強い(強かった?)のである。


・・・と「あるある」はさておき


おそらく強いチームは

「こういう時、どう具体的に何を考えるか?」
を指導しているものと思われる。
それは、東海大学柔道部監督の上水監督がやっていることを聞いてつくづく感じた。

なぜに、見た目上、同じ練習をしているのにも関わらずこれだけ試合の結果に差が出るのか?
「考え方」の交通整理をしているかである。

「いや俺だって『考えろ』は言ってるぜ」
という方は沢山おられますでしょうが、ただ個人で勝手に考えるではなく、

司令官(監督)と同じ考え方をするように
調整(すりあわせ)をしておくことが必要だという意味でありますが、そこのところはいかがでしょうか ノボル監督よ(笑)

そういうこと言うと、「洗脳しろというのか?」という人もいるがそういうことでもないのですが理解してもらえるでしょうか?

ちょうど、オーケストラと指揮者がリハーサルで曲の解釈を共有しあうのと同じ意味なのですが・・・(だから指揮者によって同じ奏者が同じ曲を弾いても違うのです)

こっちは怒っていないのに、選手が勝手にビビっているようなことがあるならば、それは調整が上手く行ってないのではないか?

そんなことを思ったところで力つきました。


なんだか書こうとしてたテーマと全然違う着地点になってしまっております。
まさに禅問答(笑)