kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

そういうことじゃないってありますよね

f:id:kokokaramakuru:20191027173425j:plain

(写真と中身は関係ありません)


私の好きな岡村さんのラジオ番組で、

思わず噴出してしまったネタをひとつ・・・

 

ハガキ職人(熱心なリスナー)からのネタであるが・・・

 

大喜利的なコーナーで

 

自分で問題を作って答えを出すもので・・・

 

 

それではいきます

 

 

問題

 

 

21世紀の石原裕次郎を探せという企画に応募してきた

 ゆうたろうさん(モノマネ芸人のそっくりさん)は

 舘ひろしさんになんと言われて落選した?」

 

 

ポン ポン ポン ポン  チ~ン

 

 

 

 

「そういう意味ではない」

 

 

 

このなんともいえないズレが想像しただけで笑える。

もちろん、こんなことがあったら面白いという架空の話ですよ。

 

ちゃんと通じてるかな?(笑)

 

要するに石原裕次郎的な

スターを発掘する企画なのであって、

そっくりさんとかそういう意味ではないということ。

 

 

これ、笑える人は笑えるが、

 

なかには

 

「えっ?なんでいけないの?」と思う人もいるような気がする。

 

というより、

トラブルやストレスってこういうところから発生しているような気がする。

 

この置き換え力というか、

「何をいわんとしているか?」

 

を読み取る能力というのはある。

 

 

無い人はない。

 

・・・と能力を語る場合もあるが、

 

大体は経験の問題じゃないかと

 

それを学生に伝えるために日々、奮闘しているが疲れてきた。

 

まぁ、分かっている上ですっとぼけて交渉を有利にする人もいる。

私の上司は、「絶対にわざとだろ」というくらい読まない。

 

大学の先生にはそういう人が多いが(笑)。

ビジネスマンにとってはこの読む力は稼ぎに直結するが、

大学教員はむしろマイナスに作用することが多いか・・・

 

 

ある人と無い人が仕事をするとお互いに不幸になる。

 

もちろん、どっちかの度量があって活かすことができたり、

新たな発見や開発に繋がることもあろうが、

トラブルになることも多そうだ。

 

 

また別の話

 

これもラジオで森脇ケンジさんの話であったが

 

走ることが一つの持ち味になっている森脇さん

ご自身の息子さんの小学校の運動会での話。

タレントでもあるということで、

その運動会では森脇さんと一緒に

小学生が一緒になって走り真剣勝負をするという企画が恒例になっていたのだという。

 

ハンデもつけて、最初は小学生がリードしているが

「今年はついに小学生が勝つか~」と盛り上げておいて、

最後の最後に森脇さんが「チョイ差し」

大人気なく小学生に勝つ!

 

というのがお決まりのパターンだそうで、

マジメに勝ちに来ている小学生が泣いたりするくらいの盛り上がりだったそうだ。

 

5連覇で迎えた最終年、6連覇なるかで迎えたその年、

当然、

その流れを知っている観客は

森脇さんと小学生たちの走りを楽しみにきている。

 

当然、森脇さんもタレントとして

「一番盛り上がる面白い展開」を計画していた。

スタートでは、スピードを抑えて後方につけてゴールに合わせて

接戦になるようにペースを落として・・・・

 

とやっていたら

 

一気に走り抜けた人が・・・

 

それは、

その年に就任した新人の先生だったという。

 

元スポーツマンらしきその先生は、最初からぶっちぎりで走り、

そのままぶっちぎりでゴールをしたという・・・・

 

会場は、恐ろしいほどにシラケきったという・・・

 

そらそうだ、会場の注目は森脇さんと小学生の走りなんだから

 

これもひとつの

「そういうことじゃない」

であろう。

 

そして、その新人教員は校長先生から

 

「ちょっとキミこっちにきなさい」

 

・・・と、見えないところに呼び出されて消えていったという

 

 

いや、新人教員さんにしてみれば

「ハツラツとしたいいところを見せよう」と思ったに違いない。

 

その先生の心情を察すれば痛いほどわかる。

それまでの流れを知らないんだから・・・

 

「誰か言っておいてやれよ・・・」

 

と、終わってからは思うが、

そりゃ小学校の運動会の運営の裏での忙しさといったら

企画リレーで

「考えて走れよ」

なんてアドバイスを新人教師にしておくとこまでまわらない(笑)

 

 

 

また別の話

 

今東光という有名な坊さんであり作家さんがいた。

 

この方の説法は有名で人気があった。

私も愛読している。

 

この方が、たしかタバコのことだったか

 

禁煙の場所かなんかでバチあたりな行為をする人に対して

 

「こんなことやるヤツはぶっ飛ばすぞ!」

 

と言ったら、

 

「坊主のくせにぶっ飛ばすとは何事だ!」

 

と文句が出ていやになっちゃうよ。

 

 

という話があった。

 

これも一つの

『そういうことじゃない』

じゃないかと思う。

 

 

ここでいう

 

『ぶっ飛ばす』は殴りたいがメインではなく、

どれくらいの気持ちでこの注意をしているか、という強度をあらわす言葉である。

 

要は、聞いているほうは「やらなきゃいい」ということを理解してくれればいいのである。

 

この感じのトラブルは近年多いと思う。

 

教員と学生ではとくに多い。

 

そんな曖昧な表現は困る、ちゃんと客観的にも問題のない表現を・・・

 

・・・ということで、

感情的な表現は無くなってきた代わりに、

どんどんとドライになってきていることに気づいている人はどれくらいだろうか?

 

 

さて、こんな話をしていると私の考えに好意的な人は

「そうだよな~」と分かってくれるような気がするが、

 

「『空気を読め』と言われてノイローゼになりました。

そんなに空気って読めなきゃいけませんか?」

 

ということで、また別の議論になったりする。

 

どっちかではない、両方のバランスなんですけどね。

 

こんな事例なんかを自分なりに考えて、

どっちの立場も想像してみたりしたらいいんじゃないかと。

 

さっきの例でいえば、

『自分が新人の先生だったらどうしたろう?』とか?

 

あとは、失敗したり注意されたらそれを体験として文章化して、

次にその立場になりそうな人をみかけたら

アドバイスしてあげられるようになったら、

その失敗はむしろ財産になるのではないかなと・・・

 

「おい、俺はそこで全力疾走してエライ目にあったことがあるから気をつけろよ」

なんて面白く話せる先輩になったら魅力的なんじゃないですかね。

 

 

ちなみにここまで空気を読むことを推奨しているような文章を書いているが、

私は空気を読みすぎて自分を押し殺す状態になっていて、

これはこれで問題の状態でありますので(笑)

 

空気が読めていいこともありますが、

悪いこともありますね・・・・

 

う~ん、書き始めは相手の真意を汲むべし・・・の話を書くつもりが、

「それがいいとも限らんな~」と結局、弱気になるのでありました(汗)

 大学の教員にむいてない・・・トホホ

 

失礼しました。