近くにある犬鳴山をもじっているわけではないのでしょうけども(笑)
キレイな景色を詠っているような、その中にクソが入っているという面白さ。
(ひょっとして「フン」ですかね~ でもやっぱり男だったら「クソ」と読ませたいですよね~笑 でも女性がこの句を読んだとしたらクソとは言って欲しくないような )
思わず、口癖になりそうな標語というのが大事なのだなと・・・
それはともかく。
先日、悪い夢をみた
高校時代の部活(野球)の場面。
寝坊して遅れてしまい、
木の陰からグラウンドを覗くと練習はヤマバになっており、
ここから果たしてどう潜り込んでいくかを思い悩んでいるという状況の夢であった。
当然、
「もうこうなったらこのまま逃げ切るか・・・」
という誘惑もある。
できることならそうしたい。
だが、今日で終わりならともかく、私は野球部の寮生活をしている。
その後の暮らしもあるのである。
監督に怒られるのもツライが、
チームメイトに白い眼で見られる生活は生き地獄である。
どう考えても行くしかない。
ただ、この状況からどのツラさげてグラウンドに入っていき、
そもそも「なんて言えばいいんだ?」
と、言い訳を懸命に考えて苦しんでいるという夢であった。
さんざん苦しんだところで目が覚めた。
「夢か・・・」
非常にホッとした。
しかし、鮮明な夢であった。
さてさて、そんなことからふと思う。
『途中から入るのって本当にハードルが高いんだな~』と・・・
だから遅刻しないで行きたいんだなと。
何がつらいって、遅刻することで自分だけ必要以上に目立つわけですよね。
遅刻しないほうが、シレッと入って存在感を出すことなく終わることができる。
「そうか~遅刻しないほうがラクなんだな~」
などと、遅刻しないほうがいい理由をいまさら思う。
さて、そんなことを考えたあと、ふと思ったことがあった。
『遅刻して入っていくって実はスゴイ精神力なんじゃないか?』と
そう思うとちょっと学生への見え方が変わってくる。
私は、いちおう大学の教員ということで授業をやっている。
体育の実技なんかもある。
その中で、しょっちゅう「遅刻」する常連のような学生がいる。
彼はいったいどのようなメンタリティーなのであろうか・・・
こっち(教員)からしてみると
「だらしないヤツだ、こういうヤツはロクな者にならんぞ」
なんて思ってみたりしたいところだが、
その後の人生を見ていると意外にうまいことやっていたりする(笑)
ひょっとして、
「途中からでも入っていくことができる『精神力』みたいなものが鍛えられているのではなかろうか?」と
自分がなんと思われようとも動じない精神力、
見栄をはらない自然体などなど・・・
相手を値踏みする洞察力
相手の流れを止めてでも自分の得るものは得ていこうという根性・・・
これ、生命力みたいなものとして重要なんじゃないか?なんてふと思う。
もちろん教員としちゃたまらない。
勘弁してくれの学生である。
特に体育なんかだと準備体操してから主運動に入っているのに、
そこを飛ばされて怪我されたらタマランというのもある。
それでも、本人の生命力という意味では
入っていって居座るというのは大事なのかなと・・・
どうも自分の生命力というか生活力に自信がないので、
そんな発想になってしまう。
思えば私なんかは夢ではなく実際の生活の中で、
「いや~ちょっと出遅れちゃったな~いまさら行っても悪いから行くの止めよう」
なんてことが多かったような気がする。
あとは「いまさら始めても見苦しいか・・・」なんて調子
ひょっとしたら、途中からでも参加すれば完全な体験はできなくてもハンパでも体験できたのかもしれない。0(ゼロ)ではないことは大事か・・・
「潔く」なんてのは、ひょっとして権力者にとっての都合だったんじゃないか?
なんてことすら思えてくる。
大体、野球界なんかはモロにそうだけど、
選手に人間教育と称して「潔さ」を押し付けている人ほど、
本人自体はよく粘る。
潔い権力者なんていないもんな。
なにかことを成している人は粘り強いもんな・・・
なんてなことを思い、
『潔い』なんていいことでもないなと思ったという話でありました。
遅刻の常連からも学ぶことはあったかなと・・・
だいぶ出遅れている人生でありますが、
少しでも粘りを持ってやっていきたいなと思った次第であります。
学生さんへ。
別に遅刻を推奨しているわけではないですぞ。
基本的には遅刻の常連には留年・退学者が多いから。
遅刻しないほうがラクだから。