kokokaramakuruの日記

野球 金魚 競輪少々 思いついたことをビビりながら書くブログ

ぼちぼちと

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大学付属接骨院での運動指導

3月から停止していた運動指導を再開した。

 

マスクをしながらではありますが・・・

 

この女性はたしか86歳だったかな?

自粛期間中も、ご自宅でストレッチに体操をしていたそうで・・・

 

それでも、こうして運動再開すると喜んでくれる。

 

実は私の運動にもなっている。

 

それにしても、マスクをしながらの体操はけっこう苦しい(笑)

大丈夫かな?

もちろん気をつけながらやっておりますけども・・・・

 

それにしても、このコロナ騒動で、世の中はひっくり返るのかな・・・

 

経済的な話で苦しいところの話題がよく出ているが、

すぐに影響が出る業種もあれば、

一年後、二年後に出てくるところもあるように思う。

 

私の職場のような大学では、来年以降にガツンと来るような気がする。

まぁ、その時はその時で私が悪いわけじゃありませんし、

状況を受け入れていくかと・・・

 

まぁ、「風が吹けば桶屋がもうかる」が、

どのような展開になるのか、

私なりに未来予想なんぞをしながら、学生との授業を味わっている。

 

いわゆる『リモート授業』の面白さを感じている。

 

あと、この情勢のおかげで一部かもしれないが、

学生に「真剣さ」が出てきているような気がする。

 

真剣な時間があった学生生活というのは貴重な気がする。

 

それから、1年生のリモート授業を3学科に対してやっているのだが、

実は入学してまだ1度も直接は会っていない。

 

しかし、

私の授業はラジオ的というか、コメントを拾いながらヤリトリはしているので、

けっこう「交流している感」は出ている。

 

なんなら、例年よりいいくらいだ。

 

「早く、先生と会いたいです」

などと、嬉しいことを言ってくれる。

 

こんなのは、すでに会っている上級生からは出てこない(泣)

う~ん、これはこれまでの上級生は生意気で、

今年の1年生がカワイイいい子なのか?

 

よ~し、カワイイ1年生と仲良くするか~!

 

 

・・・と単純に喜んでいるわけではない。

 

むしろ不安である。

 

 

なぜなら

 

 

人は、

『足りていない部分は補完するためにイメージする能力がある。

 

ということを知っているからである。

 

人型アンドロイドロボットを作っている先生の話だ。

 

 

どういうことか?

 

人は、「声」から、どんな人か想像する能力がある。

そしてそれはポジティブになりがちである。

 

例えば、コールセンターの女性の声から想像する女性は、綺麗ではなかろうか?

 

声の質から「キレイな人」が話してくれているような気がするのである。

 

他には、ラジオ番組を聞いていて、

たまたまそのパーソナリティーの人をどこかの雑誌や

ホームページで見かけた時に、

「あれ?こんな感じの顔した人なの?」

とギャップを感じることはないだろうか?

 

そう、声だけで勝手に補完して良いイメージを持ってくれるものなのである。

 

この理屈でいくと、

 

実際に会うのは非常に怖くなってくる・・・

 

そもそも会っていた学生の私への評価は、

まぁボチボチというか、

こういう事になっている期間にも特に連絡を取って・・・

なんてのはない状況である。

 

恐ろしい・・・ 

このままラジオパーソナリティーの位置でいたい(汗)

 

 

ただ、

もう一つの視点から考えると

ひょっとしたら面白いかもしれない可能性もある・・・

といえなくもないのではという考えも浮かぶ。(まどろっこっしい)

 

それは、「考え方」から始まる付き合いはどうなるのか?

 

という話である。

 

何を言いたいかというと、普通の教員と学生の関係というは、

最初に対面して、

その見た目から受ける第一印象

(怖そう、優しそう、意地悪そう、アタマよさそう など)

から始まり、徐々に授業を重ねているうちに

「あ~こんな感じだったんだ」というのが馴染んでくる。

というのが流れだったと思うが、

この事態でラジオ的授業から、

「あ~この先生ってこういう考え方なんだ、なんだか面白そう」と、

「考え方の共有」が先にあって、

そのあとに実際に会えば

「こんな見た目だけどこんな考えの人」

という安心感がありスムーズになるかもしれないという期待も湧くのではないかと・・・

 

全くよい例えではありませんが、

よくネットでヤリトリしているうちに仲良くなってそこから

『実際に会って騙された。』みたいな事件がありますが、

やらない人から見ると、

「そんな誰だか分らない人に会いに行くなんて」

などと思うかもしれませんが、

ひょっとしたら考え方をやりとりしているという威力はすごいのではないかと・・・ 

なんて淡い期待もしております。

 

特に私は体育の授業があるので、

「あの注意は、優しさから来ている」と思ってもらえれば、

変な誤解からくるトラブルも減るのではないかと・・・

 

 

思えば、考え方をほとんど聞いてもらえないまま

疎遠になっている学生が多数の気もするし・・・

 

それから、「これはリモートならでは」と思ったのが、

 

授業後に学生が残って座談会というか、

「講義の打ち上げ」というか、

好きなメンバーで残ってワイワイやるということが実現したことだ。

 

これは、3年生であった。

しかも、授業は5眼で、終わったのは18時である。

 

そこから結局8人くらいで2時間のおしゃべりとなり、

最後はそのうちの一人が

「すいません晩飯で呼ばれましたんで」

ということでお開きになるという・・・(笑)

 

そもそもはその学生の質問から火が付いた話だったんですが(笑)

「この先、どうなるか不安です」

なんて面白いテーマを振ってきたもんで(笑)

 

ただ、これは通学してたらバスやら電車の時間があるからできないことだ。

 

実に面白い。

 

『授業の打ち上げトークというのはけっこう面白い。

教員も頭が回っているし、

正直いえば授業全体には「タテマエ論」が主流になるが、

腹の底では「とはいえ、実際にはこういうもんなんだよな」

なんて

「ホンネ論(現場論ともいう)」が必ずある。

 

私は学生時代にそこを聞きたいがために、

居残って先生に食いつき、そのまま晩飯まで直行することがよくあった。

お酒の好きな先生だったりすると一緒に飲んで記憶にないということも多かったけど(笑)

 

昔と違って、学生と飲むなんてのはリスキーになっているこの時代に、

このリモート打ち上げ座談会は相当におもしろい。

もちろん、相手が喜んでこそだが、今回の3年生には変わり者が数名いて、

その時間があるならもうちょい楽しめるかもしれない。

 

学生と『リモート飲み』だったらどうなるのだろうか?

 

そっちでぶっ倒れたら怒られるのかな?

 

なんて言ってて、

来週はみんなに切られたらそれはそれでネタになる(笑)