高校野球の一コマ(写真のチームなどは内容と関係ありません)
先日、甲子園に出るほどの野球部出身の学生とおしゃべりした。
そういう学生からしてみれば、私なんて一応は業界の先輩ということになるはずなのだが、なんとなく軽い(笑)
もちろん野球部といっても、ピンからキリまであるのは知っているし、勝つことを求める野球部もあれば、楽しくやることを求める野球部もあるのはよ~く知っている。
どれがいいの悪いのではない。
とはいえ、甲子園に出た野球部ということになれば、「まぁこんな感じなんじゃないの?」というのは私なりにあったのだけど、どうやら最近は随分と変わっているようだ。
その学生は残念ながら、うちの大学ではもうやる気が無くなってしまい、別の進路を目指すという。プロスポーツの道で勝負してみたくなったという。
あらそうなのか、残念。と思いながら最後の会話だと思ってお喋りする。
「何か聞いてみたいこととかある?」と尋ねたら、
『今後、基礎体力高めていくためにどのように自分でトレーニングをしていけばいいのか?減量をどのようにしていけばいいのか?』ということについて質問があった。
そこで私は、
「あ~それだったら、野球部でやっていたウォーミングアップを毎日やるようにしたらいいよ、集団で沢山走ったり、長々とドリルをやったろ?あと、なんで野球なのにこんなに走らなきゃいけないんだ?っていうくらい理不尽な量とかあったろ?あの野球部の経験があんだからやっていけるよ」
と、その野球部を見たわけでもないのに「野球部ってそういうもんだろ?」という感じで、わかりやすい例え話をしているつもりで彼に回答したつもりだったのだが、なんだかしっくりきていない様子だった。
「あり?練習って長くなかった?」
「はい、うちの野球部はウォーミングアップも各自でやって、いきなりキャッチボールやバッティングでした。無駄な根性練習はありませんでした。先輩とも仲良しでした」
という回答。
私は「お~、おまえ、野球部でホントに野球しかしてなかったってことか~」
・・・と、普通に考えたら相当におかしいセリフが出てしまった(笑)
野球部で野球だけやって何が悪い。
そりゃそうなんだけど、ホントに野球だけ考えてトレーニングしたら、そもそも野球ってほとんど休憩しているみたいなスポーツだし、
「そんなにみんなで足を揃えて何十周も走るのが意味あんのか?」とか、
そもそも「坊主アタマに意味あんのか?」とかいくらでも出てくる。
そういうのを、今の私なら「それはそれで意味がある」と答えることはできるのだけども、
ただそれは、「それやると打球がよく飛ぶ」とか、「球速が速くなる」というような目に見えるようなものではない。
「これやりゃ、これになる」と直結していないと納得しない思考の人には、
『直結していないもの=理不尽』
となって片づけられてしまうので苦しい。
そういう思考の人は、「端的にいうと?」とか、「一言でいうと」などと云うのが「デキる指導」などと勘違いしているところがある。
「一言でまとめる」とか、けっこう危ないと思いますけども。
ともかく、単純にシンプルにまとまってないと「理不尽だ!」とかなってしまうのが苦しい。
とはいえ若いうちには納得できないことを
「とりあえずやってみる(やらされてみる)」のも大事というか、野球部をやっているというのはそういうことだったりした。(過去形)
精神論と一言でまとめられてしまうと、もうちょっと意味あるような気がするのだけど「一言で」なんて決め台詞があるわけではない。
あえて言うと、「逆境に強くなるというか、勝つかどうかより潰れにくくなる」
例えば、
〇先輩の機嫌によって走らされる・・・酷い話だ。野球のプレーと全く関係ない。
〇試合に負けた連帯責任で全員で走らされる。・・・試合に出てない補欠にしたらいい迷惑。
〇四球出したら一つにつき、100mダッシュ10本・・・走ってコントロールが良くなるか?(もちろん鍛えられてもあるけどそれ以前のフォームだろと)
〇先輩の自慢話を機嫌を取りながら傾聴する。・・・うまくおだてておごってもらう技術がつく。
適当にあげたが、野球部経験者なら「アルアル」だと思う。
プレーには直接関係ないことばかりである。
野球部をやっているというは、プレーとは関係ないことばかりである。
ところが、これが社会に出ると上司の機嫌の乱高下の中で働くなんてのがザラにある。そういう時は、野球部での経験が役に立つ(笑)ちょっとやそっと嫌われても屁でもない。さすがに社会人では無視されたりはあっても殴ってきたりはしない。野球部では先輩が腹いせでホントに殴ってきたり走らされたりする。それに比べれば屁でもない(笑)
これまで、会社などで野球部出身者が重宝されたのは「球が速い」などは全く関係ない。むしろいらない(笑)
それより「理不尽耐性」だったように思う。
特に「お客さん相手」みたいな仕事だったらなおさらだろう。
最近、野球界もだいぶ改革されてきて「合理的」になってきた。
これはこれで素晴らしいことだと思う・・・
高校なんかでも、なんとかつなぎとめるために高校生のやりやすいように改革されてきたのだと思う。
その影響かどうかは分らないのだけど、なんとなく最近思うのが、野球やってきたのにも関わらず、なんだか素直すぎやしないか?と。
「お前みたいなヤツはダメだ」と言われたらホントに折れるような・・・・
古くから野球の世界では「素直じゃない選手は伸びない」と言われる。
(他の業種もそうかもしれないけど)
でもそれは逆にいえば、そういう格言がいつまでも言われているくらい
「野球には素直じゃない人が多い」ということだと思っている(笑)
大谷翔平が素直?
バカ言っちゃいけません、素直だったら2刀流やりません。
(顔に騙されてます 笑)
・・・と、いかにも古い野球体質を肯定しているように書いているけど、これも危ないところもある。
以前にも書いたけど、「上のいう事に対してノーと言えない人間になる」とか、終身雇用も崩壊しているといわれる今の時代、ツライのに我慢して勤め上げるのが果たして美学なのかどうか?というのも怪しいところである。
う~ん、結局、何も決めずに書き始めたから、収拾がつかなくなってしまったが、考えたら甲子園に出るような高校といっても、今時、選手を集めるために古い精神主義をやっていられるわけでもない。一部の伝統高校ならいいかもしれないけど、新しい勢力のチームはいかに「野球に直結した指導をしているか?」をアピールポイントにしていることだろう。
そりゃそうだ。
結論として、これからは、野球だって一つの選択肢としてのスポーツなんだから特別視することはない。という認識になってくるのではないかな~なんて思う。
まぁ、世の中はとっくにその方向にシフトしていたのに、私が取り残されていただけなんですけどね(汗)
すんません、ダラダラと・・・
退学する学生と話していたらふと感じたもので・・・
野球の価値観
「始めたらけじめまでやる美学」なんて古いんだなと。