(足下・足元・足許)を見るについて広辞苑より
同僚の後輩教員と議論をしているなかで、
「アイザワ先生は足元を見られたことってありますか?」
という話になり、
「そんなもん、ずっと見られっぱなしの人生ですよ」
という話から、
「そもそもなんでそんな風に言うのだろうか?」と思い広辞苑で見ると
「駕籠(かご)かきが旅行者の足の疲れ具合を見て料金をふっかけることから、弱みにつけこむこと」なのだという。
面白い。今だったら駕籠(かご)はないけど、なんなんでしょうか?
一時のマスク騒動なんてそんなものだったかもしれませんね。
足元を見られたといえば、私は今さらなにかと話題の就職氷河期世代でありまして、ロストジェネレーションだのなんだの言われた、「ザッ!足元見られまくり世代」であります。
ちょい上世代(親世代)は、そりゃもう強気の人が沢山おりましたんで。
私なんて、20代前半の時、とある東京一等地の教員採用の面接に行った日には、
「いまの時代、正規雇用を望む人は沢山いる、選ぶのはこっちだからな」
と、そこの教頭先生にあからさまに言われ、
「こんな露骨に足元を見る下品なセリフを本当に言う人(しかも教員)がいるのかよ~」とたまげたことを思い出す。
血気盛んだった私は、
「うるせ~俺をその辺の就活生と一緒にすんじゃね~ぞバカヤロ~、単純なイエスマンが欲しいならそっちを取れ、こんな学校に未来はね~わ!」
などと腹の中で逆上し、その場は穏便に済ませて退出したのちに、
その学校を勧めてきた当時の体育学部の学部長(元オリンピック代表監督)に「話がちがうじゃね~か!」と怒りをぶつけ、その後8年のフリーター生活に突入したものであります(笑)
その学校は、現在立派なマンモス高校になっている模様(笑)
そして私は、わけわからないままなぜか大阪の熊取にいるという。
あの時の怒りでいま、「あんなのに負けない学生を育てる」みたな気持ちでやってきたのでありますが、なぜか今度は学生に足元を見られているようで・・・・
う~ん、優しくするのって難しい、ホントに真にウケて私の足元みてど~する(汗)
ここまでやってきて思いますに、
「そんな足元を見られたような生き方をしていていいのか?」などと、
息巻いておりましたが、周囲の様々な人生を見ていますと、
そんなプライドを捨てて、「そもそもそんなの感じない」ことの方が重要だったのかな?などと思う今日この頃で・・・
「なんで、そんなに足元を見られているのに堂々と開き直れるのか?」などと不思議に思っていましたけども、ちゃんとした生活しているのはそちらの方でして・・・
これはひょっとしたら関東・関西の違いなのか、それとも大阪文化なのか・・・
足元を見ているつもりなのはどっちなのか?
1対1で足元を見る見られるではないのが世の中なのかな。
AはBの足元を見て、BはCの足元を見て、CはDの足元を見て、DはAの足元を見て・・・
今まで、1対1にこだわりすぎていたのかもしれません。
足元見られてガッカリしているようでは、まだまだ修行が足りないのかもしれません。
『見せる足元、見せない足元』
お~、それっぽい(笑)