写真と内容は関係ありません。
通勤のために運転していた時のこと、前の車に貼ってあるシールに気が付いた。
「ドラレコ録画中」
まぁ、これは別に特別なことでもないけども、
信号待ちの停車中にこんなシールを眺めているしかない状態になると、
「ハテ?これはどういう気持ちで貼っているのだろうか?ワタシに言っているのか?」なんて気がしてくる。
いや、もちろん『煽り運転の予防や抑止力のため』、『いざという時のため』
ナドナドの理由はよ~くわかった上での話であるのですけども、
そんな気もないのにそのシールを眺めているとなんとも悲しくなってくるのでありました。
なにも、そんなに無差別に敵意をださなくてもいいでしょうに・・・・
なんとなく、電車の駅の階段を普通に上っていたら前の女子高生がスカートを押さえるみたいな・・・
「おいおい、俺を警戒してるんかいな?」という気持ちと近いような違うような・・・
「だったらそんな短いスカート履くんじゃないよ!」
「あ~でも、『アンタに見せるためじゃない』と思ってるんだろうな~」
(別の意味でもクヤシ~)などと、勝手にイラついているワタシ
車に貼っているステッカー類は『車検絡み』や「省エネ車証明」みたいなものを除けば、貼らない人が多いのに対して「あえて貼る」ものに関しては、その人の考え方や趣味、所属などを表すものが多いように思う。
応援しているチームのステッカー、ペットのステッカー、釣り船のステッカー、ラジオのステッカー、好きなブランドのステッカー、いきつけの神社系、ツッパリ系、不良系、まぁいいじゃないのという感じでワタシは楽しく眺めている。
要するに「中に居る人は、こういう人なわけね」というのを感じるわけである。
これらのシールは「自分はこんなヤツです」という紹介というか、ベクトルが自分に向いているというか・・・
ところが、この「録画中」に関しては
「お前のことは録画しているからな、変なことしたらすぐに公開するぞ」ってなもんで、こっちになにか圧をかけてくる気がする。
これを「先に教えている親切」と受け取るべきなのであろうか?
つけたいなら黙ってドラレコつけておけばいいんじゃないかと思うのだけども・・・
わざわざ周囲に「敵意」をばらまきながら走行するのってどうなのよ。
あとは、そういうシールを貼っている車って、けっこうカッコいいタイプの車というか、ちゃんと洗車していたり色々とこだわっている車が多そうだけども、そこまで手入れしておいてそのシールはカッコいいのか?
などと思ってしまうのだけども・・・・
どっちが悪いか証明する勝負・・・
みたいな風潮はワタシの小学生くらいから始まった風潮だったように記憶しているけども・・・・
そらギスギスしますわね・・・
こういうシールを貼る状態の時には、余計なこというと文句いわれそうだから関わらないでおくか・・・・
なんて、考えなきゃいけないほどに、貼っている人は真剣に貼っているわけではないだろうけども・・・・
「お前は被害にあってないから言えるんだ」
などと思われそうだけど、ワタシも車上荒らしを喰らったり、運転はチンタラ走る方なので、煽られがちということで「こんなことならドラレコつけておくかな~」とは思っておりますけども、シールは貼らないのではないかな~なんて思ってみたのでした。
まぁ、こんなシールが気になっているようなメンタルではいけませんね(汗)
なんて思って、職場の人の車をみたら、全然貼ってないんですよこれがまた・・・
みんな人を信じるいい人なんかな・・?そうは思えないが?(笑)
きっちり撮影するために貼ってないなこりゃ(笑)