以前、和歌山県すさみの道の駅で買った木材製品
こんな感じで・・・
これを使ってなにかしようと思ったわけでもないのだけど、なんとなく心地良い気がして購入。
触っているとなんだか気持ちいいんですよ。
『それがなんなんだ』といわれりゃ、なんでもないのだけど。
そういや、中学校の教科書だったか、中原中也の「月夜の浜辺」という詩があって、浜辺に落ちていたボタンを拾ってどうのこうのという内容だったのだけども、いまだに憶えているフレーズが「それを拾って役立てようと僕は思ったわけでもないがなぜだかそれを捨てるに忍びず」というやつ。
そして最後に
「月夜の晩に、拾ったボタンはどうしてそれが捨てられようか?」
と締めるのだけども。
なんだかこの「わけでもないが」という言い回しがクセになる(笑)
そう思うと私って、「わけでもないがやっている」ことばかりだなと。
「これをやるとお金になるというわけでもないが~」
「この人と付き合っていると役に立つというわけでもないが~」
「金魚を飼うといいことがあるというわけでもないが~」
「学生を指導したからっていいことがあるというわけでもないが~」
「高齢者の運動指導したからっていいことがあるわけでもないが~」
いや「あわよくば役に立ったりしないもんかね」とは思っているのだけども。
なんでそんなことを思ったかというと、学生の就職相談の業務をしていて、「この資格を取って役に立てたい」「これをやって収入アップにつなげたい」「せっかくの資格を無駄にしたくない」などなど聞いているうちに、
「あ~、こういうことをホントにちゃんと考えなかったな~」と・・・我が人生を思いなんともいえない気持ちになる。
「わけでもないが」ばかりじゃダメで「わけでもある」も少しはやれと(汗)
よくこんなんで生きてるな。(だからなぜか大阪にいるのかな 汗)
私はこの詩を知って中原中也に興味を持ち、横浜で『中原中也展』みたいなものがあったときに行ってみたことがあるのだけど、聞いていた話では劣等生だった気持ちを詩にしたみたいに教わったから、そういう人かと思ったら、とんでもないハイレベルな世界の中での「落ちこぼれ」でありました(笑)
まぁ、詩になってしまうと「すごい人」だけど、近い人からすっととんでもない人間性だったらしく、酒は飲むわ借金はヒドイわ、口は悪いわ、などなどダメ人間だったところは好感が持てる(笑)
まぁそれはさておき、学生を見ていてツライのは技術向上には熱心で真面目なのに、もう一発報われないというかモノを頼まれにくそうな学生がいたのでコミュニケーションに関わるアドバイスを一つした。
その学生は本人も自覚している「完全を目指すタイプ」であり、それはこちらも感じた。
「完全を目指す」はもちろん良いのだけど、人との付き合いの中で「失敗を出さない=完全」になってしまうと、コミュニケーションは難しいのではないかと思ったのでアドバイスしてみた。
「業務的な用事が無くても会話できるかい?」
いわゆる雑談力なのだけども、「具体的な用があるから会話する」って、それじゃ客と店員みたいなもんで、それだけなんだったら、それこそどんどん機械化できる。
一緒にいて楽しくなるような会話ができるか?
そんなことを意識して学生生活してみたらいいよと。
ただ、それができない人にとってはけっこう難しいことなのだろうな~というのは、本屋でわざわざ「雑談力を上げる」みたいなのが売れているらしいということからも伺える。
「雑談したからといって役に立つわけでもないが」だったけど、
最近は「役に立つ」ものらしい(笑)
役に立てようという会話だったらもう雑談じゃないじゃないと(笑)
役に立てようと思って始めた会話じゃないのだけど、
とんでもないアイディアに繋がるということは多々あるから
「そこを狙って役に立つ雑談しよう」となったらもう違う(笑)
ただまぁ、雑談って根が見えてしまうから怖いっちゃ怖いのですけども・・・
じゃあ何を話せばいいのか?
とりあえず、
「これをやると役に立つというわけでもないのですけどやってしまうのですよ~」
なんてモノがあったら話してみてはいかがでしょうか。
「役に立つから」だけの繋がりだったら、役に立たなくなったら終わりの関係ですもんね。
「役に立つから」で動き回るのはストレスあるでしょうね・・・