過去に飼っていた金魚(オランダ獅子頭)
先日、NHKの「ヒューマニエンス」という番組で「顔」という特集があった。
その中で「人の顔を憶える」という話題の時に「要は好きかどうか?」ということで脳の使う領域があるのだという話になり、司会の織田裕二さんが「確かに好きなクワガタは個体識別できる」なんて話題になっていて、私としても理解できた。
お気に入りだった個体
金魚に特に興味のない人にとっては、「どれも一緒」だろうけども、私からしたら一匹ごとに違う。
過去に読んだ金魚雑誌の中で、「盗まれた土佐錦(金魚の品種)を別のところで発見して取り返した。」という記事があり、「そんなのわかるのか?」と思ったが、今では当たり前のこととして理解できる。
私ですら、同じ東錦でも「どこの生産者か?」が分かるくらいですから。
そういえば、私の職場の事務員さんで、元水族館の職員としてアシカのトレーナーをしていた人がいるのだけども、その人は「アシカの顔の違いが分かる」と言っていて最初は驚いたけども、金魚でも違うのだからアシカなんて全然違うのかもしれない。
バードウォッチングをしている人は鳥の個体ごとの違いも分かるという。
犬を飼っている人なら、例えば柴犬ならみんな一緒に見えるというのは飼っていない人の印象であって飼い主ならば間違いなく分かるのではないだろうか。
私の上司は「学生の顔が憶えられない」と言っているのだが、そもそもその気がない(笑)
あんまり好きじゃなさそうだもの。
「いや~マスクをしているから分からないよ~」と、この上司はいうがマスクをしていない時代から憶えていないから、ちょうどいい理由ができたということでメデタシ。
なんていうと、学生が好きなことが良い教員のように思いそうで、実際に私はそういう信念のもとでやってきたけどもここにきて揺らいでいる。
「好き」の裏生地には「恨み・憎しみ」もありえるので・・・
親身になって付き合うということは、トラブルのリスクもある。
疎遠になって悲しくなったりする。
そういう意味じゃ、私の上司は尊敬できる。安定感がある。
継続できているということでプロである。
その凄みがようやくわかるようになり、最近仲がよい(笑)
考えたら、「顔を憶える=親近感」ということで覚えられた人は嬉しいけども、憶えられていない人は悲しくなるし、時に差別していると反感を買う。
ならば「全員憶えない、それなら平等でトラブルはない」というのがこの上司の考えなので確かに理屈は通っている。
「そんなんでいいのか」などと思ったものだけども、
実際にトラブルは私のほうが多い。
さて、いよいよ授業が始まる。
対面授業で行く予定だが、マスクは必須状態。
顔を憶える以前に、顔が見えない。
考えようによっては、顔を憶えられなかったといって気に病むことはないともいえる。
案外、マスクをしていることで堂々とできる人もいるかもしれない。
さて、何が生まれるのか?
それにしても、
『マスクを外したら髭が伸びてた!』ってちょっとギョッとしますね(汗)