『始める前は否定される。始めれば反感を持たれる。途中でやめれば馬鹿にされる。報われるには、報われるまで続けるしかない』
先月のニュースで、とある悪役レスラーが、酔っ払いに絡まれている少女を救ったというのがあり、それに乗っかった記事が溢れてとても面白かった。
冒頭の名言は、そのインタビュー記事の中のもの。
こういう名言は誰がいうかが重要で、「アンタは最初から報われているじゃない」と思われる人が言うと鼻につくというか、「ハイハイ、けっこうでございますね」となるが、やはりこういうヒール役の選手が言ってくれると受け入れやすい。
というか、この名言はなんだかとてもバランスがよい気がしている。
プロレスセンスを持ち合わせていると世の中の見え方が変わってくる。
「悪役がいるから正義の役が成立する」
「汚れ役がいるからスマートが引きたつ」
「相手を引き立てることが結果的に自分の利益につながる」
「勝てばいいってもんじゃない」
「勝ち負けの基準は一つじゃない」
「相手を完全に潰したら、明日は自分が苦しくなる(相手がいなくなったらなりたたない)」
「悪役やるには実力が必要(弱いと悪役として成立しない)」
「攻撃力より受け身力(避けるではない)」
などなど、考え出すとキリがないがプロレスセンスをつけると仕事も人間関係もやり方が変わるのではなかろうか。というのがワタシの持論。
プロレスといえば、いわずと知れた「東スポ(東京スポーツ)」で、いまだに独自の路線で生き残っているところが嬉しい。
ワタシが少年の頃(30年前)にはまだスマホはなく、電車の中でスポーツ新聞を読むオジサンが「大人」に見えたものでありました。
それなりに混雑している電車内で、スポーツ新聞をうまいこと折り畳みながら読み進める「所作」に「オトナの男」に対するあこがれがありました。
背伸びしたくなる年頃になった私は、
「よし、スポーツ新聞を買ってみよう」と意を決し、夕方の相模大野(小田急線)駅売店で品定めをした。
並ぶ新聞を見て私は悩んだ。「どれがなにやら」
というより、巨人ファンの父が良く読んでいた記憶のある「報知」もしくは「スポニチ」「ニッカン」がない。
駅売店文化を知っている人には、「夕方の売店」というところでわかるかと思いますが。(朝刊と夕刊がある)
「あり?スポーツ新聞がない・・・」どうすれば・・・?
と思い、「とにかくスポーツと名のつく新聞を・・・」
と、手に取ったのはそう「東京スポーツ」(夕刊)
今では青い新聞のイメージですが、当時は赤い文字の見出しでした。
あれは中学1年くらいの頃だったように思うが、私のやりたかったことは、それなりに乗車している人のいる電車内で顔色一つ変えずにスポーツ新聞を開き、うまく折り畳みながら中身を読み進める「所作」でありました。
思春期にタバコを吸う所作に憧れるのと同じです。
「東スポ」を知っている人はもう想像つくと思いますが、
「東スポ」はウブな少年が電車の中で「真ん中あたりの記事」を堂々と二つ折りにして読めるようなシロモノではございません(笑)
「なんじゃこりゃ!」と焦った私は、結局その東スポを読むことなく帰宅したのでありました(笑)
そんな東スポですが、プロレスだけではなく、「UFOネタ」「カッパ発見!」「ネッシー」「ツチノコ」などなど、マジメな皆さんからは絶対に嫌がられる味わい深いというか浅いというか、ファンタジーを気楽に楽しめるコンテンツが面白かった。
なにより名物の「見出し」は一番大切な「〇○か?」の「か?」の部分を折り畳みで買わないと見えないところに配置するというデザインはお見事だったし、最後まで分らないという日本語の味わいを感じさせる芸術だった。
「人の話は最後まで聴こう」という教訓にもなった(笑)
東スポを好む人は、人の話を最後まで聴く習慣があるとかないとか(笑)
久しぶりにプロレス記事が出てきて、それに関連した東スポ記事でほっこりさせてもらった。
そういや知らないうちに堅苦しく考えて「東スポセンス」を見失っていたなと。
もうちょいふざけたネタも書けるようにならねば・・・
と思って、いざ「ふざけたネタ」を書くのってホントに難しいもんですね。
それにしても、自分で初めて買った新聞が「東スポ」って・・・
そりゃまともな人生になりませんわね(笑)